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固いものが噛めなくなってから、ハンデを持つ人の気持ちが少しだけわかった

今日のお昼にラーメン屋に入ったのですが、「汁なし混ぜそば」が美味そうだったのでそれを注文したところ、思いっきりコシが入った極太麺が出てきました。

この手の固くて太い麺が好きな方は多いかと思いますが、実は私にとっては”大の苦手な”食べ物だったりします。

というのも、別に味や食感が嫌いというわけではなく、歯が悪くてまともに噛めないというのが最大の理由です。

お恥ずかしい話ですが、20代のころに歯医者恐怖症になって虫歯を丸々20年以上放置した結果、左右の奥歯とも入れ歯になってしまい、固いものがまともに噛めなくなってしまいました。

6年前に勇気を出して近所の歯医者さんに23年ぶりに行って何とか軽くは噛めるようになったものの、ホルモンやイカ・タコといった”噛みごたえがある食材”はいくら噛んでも噛み切れないことがあるので、できるだけ食べないようにしています。

ラーメン屋に行っても麺の固さは必ず一番柔らかいものを注文しますが、今日は麺の固さが選べるものではなかったため、よりによって固くて太いものが出てしまったというわけです。

歯が悪いので飲み込める状態になるまで噛むにも人の3倍は時間がかかるので、残念ながら昼休みの時間内には完食できませんでした。
(ラーメンそのものは美味しかったですが)

こんな感じでここ数年間は普通の人が噛めるものが噛めないというハンデを背負いながら食事をしていましたが、他の人が皆食べ終わっても私は半分も食べ終わっていないことがあり、はっきり言って不便は大きいものの、歯を無くしたことで得たものもあります。

それは自分自身がちょっとしたハンデを負うことで、様々なハンデを持つ人の気持ちが少しだけわかったということです。

重いハンデを背負う人から見たら奥歯を無くしたぐらいではハンデのうちに入らないかもしれませんが、それでも「普通の人ができることができない」という点では共通しています。

若いころは仕事や日常生活の中で「なんでこんなにモタモタしてるんだよ!」「なんでこれぐらいすぐにできないんだ!」と思う場面も多々ありましたが、自分自身がそういう目に会ってからは「時間かかかるのはしょうがない」と思えるようになり、他人に対してイライラする場面も少しずつ減ってきました。

そう考えると、歯を失ったのがかなりの痛手ですが、自分自身がハンデを負い、持たざる者の立場を知ることによって得るものはそれ以上です。

この先は年を取ることで若いころ普通にできていたことが色々失われていくと思いますが、それはそれで良いこともあると考えて前向きに生きようと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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