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集団内の問題に対するメンバー全員の合意形成はかくも難しいと痛感した話

私は今のマンションに引っ越してからずっと管理組合の理事をやっています。

自分から望んで理事になったというよりも「他にやる人がいなかった」というのが理由であり、引っ越した早々管理会社から「理事になってくれませんか?」と打診され、替わってくれる人もいないのでそのまま8年以上経ちました。

幸い他の理事の方も皆さん良い人で、理事会の活動を通じていろいろ貴重な経験を得ることができましたが、その中でも一番難しいと思ったのがマンションの問題に対する所有者全員の合意形成です。

例えば私が住んでいるマンションは築40年以上経過していますので、老朽化したところを修繕するための修繕積立金を値上げする必要がありますが、全員が値上げに賛成してくれるとは限りません。

「マンションの設備の老朽化」というのは一見全員にとって共通の問題のように見えますが、以下の2点が人によって大きく異なることがわかりました。

  1. その問題が起こることによる影響(受ける被害)が人によって違う

  2. その問題を解決するための負担(支払うコスト)が人によって違う

例えばマンションの水道管が古くなり、水圧が弱くなったとします。

マンションの所有者の中には買ったばかりでこれから30年以上住む予定の人もいれば、もうかなりの高齢で老い先短いという人もいますが、「水圧が弱い」という問題に対する影響は違ってきます。

前者はこの先30年も弱い水圧のまま生活することを考えると「お金がかかっても何とかしてほしい」と思いますが、後者はもう先も短いのでこのままでも問題ないと思ってむしろ「お金をかけるな」と思ってしまいます。

これが1の「問題が起こることによる影響の違い」です。

もし水道管を全部取り換えるということになったとき、莫大な費用が発生しますので早い段階から修繕積立金を値上げするか、臨時に徴収する必要が出てきます。

同じマンションの所有者でも経済状況は人によって異なりますので、仮に「皆さん今月から5000円値上げします」となるとその5000円が別に何ともないという人もいれば、5000円多く払うのが苦しいという人も出てきます。

これが2の「問題を解決するための負担の違い」です。

この2点を無視して「これはみんなにとって共通の問題だから」とか、「みんな等しく協力してください」と言ってゴリ押ししようとするとうまく行きません。

もちろん一定数の賛成があれば多数決で物事を進めることができますが、それでも一人でも頑なに反発する人がいると止まってしまいますので時間はかかりますがそれそれの事情を踏まえて落としどころを見つけるしかないと思います。

実はこの状況に似ているのがコロナ対策ではないかと思っています。

新型コロナウイルスに感染したとき、重症化する人もいる一方で全く無症状の人もいます。

重症化する人にとっては深刻な問題ですが、無症状の人にとっては「ただの風邪」にすぎないので、まさしく1の「問題が起こることによる影響の違い」です。

そしてコロナ対策のために行政は様々な制限を社会に課しました。例えば飲食店に対する時短やアルコール提供の要請です。

その結果、全く負担を負わないような業界もいる一方で、重い負担を背負わされた業界もいました。

緊急事態宣言で形の上では等しく制限を課せられる状態ですが、支払ったコストは全然違うのでこれも2の「問題を解決するための負担の違い」です。

世界各国が実施したコロナ対策は様々な賛否がありましたが、どのみち万人が合意できる対策など最初から不可能だったのかもしれません。

結局のところ多数派を優先して少数派に泣いてもらうか、あるいは権力者の独断で進めるかしかなかったのですが、何をするにしても「人間同士の対立」を生んでしまったのは事実だと思います。

マンションの管理組合の話に戻りますが、私が一つ学んだのはこういう合意形成が難しい問題に対して「あえて問題を解決しない」という選択肢もあるということです。

もちろん問題を放置することにより弊害もありますが、それ以上に問題を解決しようとしてメンバー同士の対立を招いたときの弊害が大きいのなら、あえて自然の成り行きに任せたほうが最善の結果を得られるのかもしれません。

ただし、「何もしない」というのはある意味責任者にとって「最も勇気がいる判断」だと思いますが…

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