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◆アスリート養成強化、お稽古、余暇や趣味。日本の「スポーツ」、これからどうなる?

スポーツをするのは嫌いではなかったけれど、運動部には入らなかった。
私が育った田舎の中学校では部活動が必修だったが、運動部には入りたくなかった。
身体を動かして、汗をかくのは、気持ち良かったし、運動そのものは嫌いではなかった。目標を立て、計画を作って、コツコツと頑張ることも好きだし、走りのフォームや、ボールの投げ方を教わって、上手くなったら楽しそうだと考えることもあった。

でも、運動部には、どうしても入りたくなかった。
運動部に漂う雰囲気に息苦しさを感じたからだ。
運動部は、先輩後輩の上下関係、礼儀作法が厳しく、それに馴染めそうになかった。

小学生の時には、地域のバレーボールクラブに入っていたが、コーチが試合に負けるとビンタをすることがあり、そのことに納得いかなかった。
「クラブ・部」に所属すると、自分が理不尽と感じているようなことを押し付けられそうな気がしていたかもしれない。
結局、中学校、高校とも演劇部に入って、運動部には所属しないまま、学生時代を終えた。

運動部とは別の選択肢があったら、学生時代にもっとスポーツをしていたかもしれない。
大人になって、障害者スポーツに関心を持ち、選手の取材や撮影をする活動をするようになって、自分自身も何か一つのスポーツに打ち込む時期があったら良かったと思うことがある。そうした経験があったら、選手の取り組んでいることや気持ちを、より理解できるかもしれないと思うからだ。

「スポーツを地域のエンジンにする作戦会議」(有山篤利、高松平蔵・著、晃洋書房)を読んで、日本の「スポーツ」は、アスリートの育成や強化をする活動は熱心だが、余暇や趣味でスポーツをすることを促す活動や施策はそれほどないということを知った。

また、教員にとって過度な負担となっている「ブラック部活動」の問題があり、これを受けて部活動を地域のスポーツクラブなどと連携して行うようにする「部活動の地域移行」が進められていることも初めて知った。

私が中学生だった頃とは、学校や教師を取り巻く環境が変わり、部活動が直面している問題も異なっているようだ。

「競技」がスポーツのすべてでなく、余暇や趣味のスポーツもあるが、
オリンピックや世界選手権などの国際大会が大きく報道されるためか、「競技」としてのスポーツは目立つ。

パラスポーツに関して、私自身が取材・撮影するのも「競技」としてのスポーツだ。
趣味や余暇としてスポーツを楽しんでいる障害者はどのくらいいるだろうか?
休日に、身体を動かしたり、汗を流している障害者と出会うことがあるか?と考えてみるが、すぐに浮かんでこない。

生き方や働き方に「多様性」が求められている時代、
障害者スポーツについても、「競技」以外のスポーツの在り方を考えてみる必要があるのかもしれない。

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