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アホが見るブタのケツ

関西コミックソング界の大御所、嘉門達夫さんに「アホが見るブタのケツ」という曲がある。ガキのおかしな言動をこれでもかと歌詞に詰め込んだ楽しい曲だ。

大人になって聴くと、「そうそう、あった、あった」とガキの頃を思い出させてくれる。おもしろソングでありなが、どこか懐かしさを感じさせてくれる曲でもある。

「アホが見るブタのケツ」とは、ガキ同士が揉めた際などに、相手に浴びせるおちょくりの言葉である。似たような言葉に、「何時何分何秒」、「お前のかあさんでべそ」なんてのもある。僕自身もガキの頃、思いっきりおちょくりの気持ちを込めて、ケンカ相手に向けて口にした言葉だった。

今のお上品なお子達なら、こんな下品な言葉遣いはたぶんしないだろうと思う。まぁ、今なら差し詰め「それって、あなたの感想ですよね」ということになるのだろうか。知らんけど。

さて、本題に入ります。

「頭に来てもアホとは戦うな!」といタイトルの本が出版されたのは、今から10年ぐらい前のことだったろうか。

本屋さんで初めてこのタイトルを目にした僕は、ギクッと目を剥いた。

なぜなら、アホの帝王、アホの最右翼、アホのリーダーと自他ともに認める僕にとって、「また、けったいなタイトルの本、出しよったな」と思わずにはいられなかった。

さらに、その本が、ベストセラーになっていると知った日には、随分と肩身の狭い思いを感じた。世の中の多くの人たちにとって、「アホな人」は煙たい存在なんだと、思い知らされたからだ。僕は、これからはできるだけアホがばれないようにして息を潜めて生きていこうと、硬く心に刻んだのだった。

ちなみに、この本は、タイトルを目にしただけで、本を手に取り、目次を見てみることすらしなかった。だから本に書かれている内容については、一切知らない。

「アホとは戦うな!」のベストセラーを受けて、その後、それの関連本だったり、柳の下の二匹目のどじょうを狙う模倣本がいくつも出版されたように思う。そして、それらの本も、結構な部数、売れたように思う。

しかし、僕は、このアホ本フィーバーを見ていて、最初に感じた肩身の狭い思いとは、逆のことをの感じ始めていたのだった。

「そいかい、そうかい。これだけアホ関連の本が売れるということは、世の中には、多くのアホが存在しているという証やないかいさ。ほなら、僕一人が肩身の狭い思いを感じることもないわいさ。明日から、またアホ全開で生きていこう」と心を新たにしたのである。

アホである。アホではあるがバカではない。

アホとバカ、大した違いなどないやろうという方もいるだろうが、それは月とスッポン、大違いなのであります。なぜなら、アホには、優しさがあり、愛がある。しかし、バカはバカでしかない。

関西人に対して、バカはご法度である。念のため。

「アホとは戦うな!」が出版されて以降、アホな人たちは駆逐されたのであろうか。僕の周りを見る限りにおいて、それは否である。アホはのびのびやっている。それどころか、アホ人間は、ますます増殖しているように僕には見える。

もっとも、最近は、賢子の皮をかぶったアホが増えているのように思えるのだが。

こんなアホな僕でも、さすがにこの国の行く末を、憂う。

アホが見るのは、せいぜいブタのケツぐらいにしてほしいものだ。

坂田利夫師匠のご冥福をお祈りいたします。


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