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高所恐怖症のはなし

ガキの頃の手っ取り早い根性試しと言えば、高所登りと飛び降りだったように思う。

公園の藤棚やジャングルジムから飛び降りたり、学校の塀や校舎の十数段ある階段をいっきに飛び降りたりしていた。あげればキリがないくらいに、本当にいろんなところから飛び降りていた。

着地の際、足の裏から伝わるなんとも言えないジ~ンとくる感触が、僕は苦手だった。着地に失敗して地面に尻を打ち付けたり、着地の瞬間に自分の膝で顔面を強打して、鼻血ブーなどまれにあった。その時は涙が出るくらい痛いし、打ち所が悪ければ、捻挫や骨折なんてのもあった。

羹に懲りてなますを吹くなどという言葉は、悪ガキたちの辞書には載っていなかった。も~と~い、そもそも辞書すら持っていなかった。やっぱり元気と無茶が取り柄の悪ガキにとっては、ケガの数が勲章でもあるので、決してやめるわけにはいかなっかた。アホである。

高所登りの方は、家の屋根や電柱、学校の塀などが多かったように思うが、時には港にある大型のクレーンに登ったり、建設中の建物の鉄筋などに登ったりしていた。

屋根から屋根に飛び移るなんて朝飯前のゴンタくれは珍しくもなかった。建物と建物の間を手と足のツッパリだけで登る猛者もいた。

僕は「根性なし」とは思われたくなかったので、一応ポーズとして挑戦はしていたが、あまり高い所へ登ることはできなかった。高所へ登り始めるとだんだんと恐怖心から体が震えだしてきて、最後はこれ以上登ると降りることもできないんじゃないかと思えるほど体がこわばってくるのだった。強風の吹く冬などは、殊更に恐怖を感じた。

そうそう、屋根付きのガレージに登っていた時、屋根の板が抜けて、落っこちそうになったことがあったっけ。

話は飛ぶが、遊園地で一番苦手な乗り物は観覧車だった。観覧車から見える風景を見ることができず、ほとんど下を向いていた。なぜなら、風景を見ていると、目の前がクラクラしてくるからだった。百貨店などの高い建物のエレベーターも「ワイヤーが切れて、落ちたらどうしよう」と、乗るたびにとても不安だった。

それで小学生ぐらいの頃から、もしかして、僕は高所恐怖症なんじゃないのかと、感じていた。だけど、大人になればそれも解消されるだろうと、あまり深刻には考えていなかったように思う。

しかし、それは甘い考えだった。実際には大人になってもそれを克服することができなかった。大学生の時に、自分は高所恐怖層なんだと、思い知らされる出来事が起こる。

ある日、親しくさせていただいていた教授から、「アメリカに一緒に行かないか」というお誘いがあった。アメリカに滞在中は、教授の身の回りのお世話をしなければならなかったが、費用は全部教授持ち。いわゆるあごあしつきというやつだ。

こんなおいしいチャンスを逃す手はなっかた。「ハイ、是非行かせてください」という言葉が喉元まで出かかったが、なんと僕はその言葉を飲み込んだのだった。自分自身でも信じられなかった。

教授の話を聞いて、ラッキーと思ったのだが、それと同時に、アメリカへ行くには飛行機に乗る必要があるよな。うん?飛行機?鉄の塊?無理、無理!!という思いが頭をよぎったのだった。

僕の口からは、「行かせてください」という言葉ではなくて、「少し考えさせてください」という言葉が出ていたのだった。言った先からすごく後悔したのだが、どうしようもなかった。

それから、数日間、本当に悩みに悩んだ。

バカげているとは思うが、「飛行機が落ちたらどうしよう」ということが頭から離れなかった。

正体不明になるまで酒を飲んで、飛行機に搭乗したらどうか。
飛行機に乗ってすぐに、睡眠導入剤を飲んだらどうか。
パラシュートを持参することはできるのだろうか。
はたまた、もし、飛行機が墜落しても、地面に衝突する時に、自分がそれに合わせてジャンプすれば、衝撃力が緩和されて助かるのではないかという、笑うに笑えない妄想にまで取りつかれる始末だった。信じてもらえないだろうが、溺れる者は藁をもつかむ。

僕は高所恐怖症だった。アメリカ行きはあきらめるしかなかった。さらに、バックパッカーとして、諸外国を旅行するという夢も、ついえたのだった。

高所恐怖症はホント損である。


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