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よそ者の帰省

この夏、長期の休みを利用して、娘たちを連れて田舎へ帰ってきた。

祖母の葬儀に出席するために田舎に帰って以来のことだから、13年ぶりの帰省になる。

祖母が亡くなった翌年にあの忌まわしき東日本大震災が起こった。実はオカンの生家は巨大津波で甚大な被害を受けた被災地にあった。私自身もそこで生を受けた。だけど、クソ親父の借金が原因で、夜逃げ同然の引っ越しをしなければならなかったそうだ。そのために、一歳ぐらいまでしか田舎では暮らしてはいない。

オカンの生家は漁業関係の仕事をしていて、ほかの親戚の何人かも漁業組合などで働いていた。

震災当日、テレビのニュース番組などで、津波に建物が次々と飲み込まれる映像を見ながら、必死になって親戚へ電話連絡を試みていたことが思い出される。なんとか連絡が取れたのは、震災から4,5日は経過していたように思う。

親戚たちの何人かは家は流されたものの奇跡的に助かり、また何人かは津波に飲み込まれて亡くなっていた。

今回帰省したのは、父ちゃんの生まれ故郷を見てみたいという、娘たちからのリクエストがあったからだった。

しかし、私自身は、帰省に関してためらいがあった。

自分の生まれ故郷とは言え、そこで暮らしていた記憶は全く無かった。これまでに帰省した回数も数える程度で、私のというよりも、オカンの故郷と言った方がしっくりとくる。

そして、今までのように観光気分で訪れていた時とは状況が一変している。圧倒的よそ者である私が、被災地である故郷を訪れた際に、娘たちに何をどのように話してやったらいいのか、皆目見当がつかなかった。いつものように知ったかぶりをかまして、あの震災を語る気にはなれなかった。

また、大津波によってたくさんの家屋やいろいろな物が流される映像を何度も見て、私が知る故郷がもうそこには無いことが容易に想像できた。だから、その現実を目の当たりにするのが怖かったのかもしれない。

だが、娘たちに自分たちのルーツの一つである私の故郷を見せておくことは、大切なことのようにも思われた。娘たち自身が、被災地でもある親の故郷を、自分たちの目で実際に見て、感じる何かがあればそれだけでも帰省した甲斐のようなものがあるのかもしれないように思われた。

私は、故郷に向けて重い腰をあげた。被災地である故郷を見て、いろいろな気持ちが沸き上がってくるだろうが、その気持ちを出来るだけ隠さずに娘たちには話してやろうと決めた。

13年ぶりに見る故郷は、震災のつめ跡は見当たらなかったものの、想像以上に変わってしまっていた。

たくさんの民家があった場所には、震災後、新築されたであろう家々が建ってはいたが、あっちこっちに空き地が目立った。その空き地の一つは親戚が住んでいた場所だった。

また、海の近くの小さい集落があったところでは、その集落全体がかさ上げされていて、私が知る集落は跡形もなく消えていた。

帰省した際、なんどか食べに行った食堂も、小さなスーパーも無くなっていた。

だけど、悲しい現実を見るだけではなかった。

大きな商業施設やいろいろなお店が新しく営業していた。移転して営業を続けている見覚えのあるお店の看板を見たときは、胸が熱くなった。復興関連の施設と言うのだろうか、立派な震災の伝承施設やモニュメントなども建てられていた。

それらを見て、復興に取り組む被災地の人たちの、意気込みや負けない気持ちのようなものに触れたような気がした。薄っぺらい言葉だが、これからも頑張ってほしいと思った。

海岸沿いにはスーパー堤防が建設されている。

今回、被災地である故郷を見て、私の心に一番残っているのがこのスーパー堤防だった。

スーパー堤防が建設されていることは知ってはいたが、近くで実際に見ると、そのとんでもない大きさに驚かされた。

そのとんでもないコンクリートの大きな壁を見るとき、あの津波のすさまじい破壊力を思い知らされたような気がした。

被災地の人たちの安全・安心を得るためには、スーパー堤防は必要なのだろうと思った。

しかし、スーパー堤防を見て、正直なところ、ふつふつと怒りが込み上げてもきたのだった。

「果たして、あんなバカでかい堤防は本当に必要だったのだろうか」
「毎日スーパー堤防を見なければならない地元の人たちは、どのように感じているのだろうか」
「他に、もっとやりようがなかったのだろうか」

津波で多くの尊い命が失われた。親戚の何人かも亡くなっている。何も知らない圧倒的よそ者が一時的な感傷に浸って、「ああだ、こうだ」ということは、厳に慎まなければならない。

しかし、この海でガキの頃、親戚の子どもたちと一緒に釣りをしたり泳いだりしたことがある。漁師のおっちゃんの船に乗せてもらって、漁を見学したことがある。獲れたてのイカやウニを食べさせてもらったことがある。

そして、津波で流されたとはいえ、オカンの生家は、スーパー堤防の下に埋もれてしまっている。

津波に対する怒り。スーパー堤防に対する怒り。傷ついた思い出に対する怒り。そんな行き場のない怒りが込み一気に上げてきたのだと思う。

今回、帰省してみて、いろいろと複雑な感情が沸いてはきたが、実際に被災地である故郷を自分の目で見ることができて良かった。そして、何よりも娘たちに故郷を見せることができて、本当に良かったと思う。

帰省中、震災に対する話は、直接的に娘たちとすることはあまりなかったのだが、それぞれに感じたことはあっただろうと思う。これから、家族で少しずつ語り合いたい。

たぶん、今回の帰省が、私にとっては最後になるだろうと思う。だけど、娘たちには、東日本大震災のことや原発事故のことをしっかりと勉強した暁には、もう一度ぐらいは、おばあちゃんや父親の生まれ故郷を訪ねてもらいと思う。













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