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子どもの頃に聞いた迷信

子ども頃、両親や近所のおっちゃん、おばちゃんから言われた迷信、言い伝えのような言葉がいくつもあった。

「夜に口笛吹いたら、ヘビ(おばけ)が出るよ」
「夜に爪を切ると、親の死に目に会えないぞ」
「雷なったらへそ隠せ。雷様におへそ取られるで」
「子どもが火遊びしたら、寝小便するわ」
「ご飯に箸を立てたらアカン」

まだ、幼少の頃は、それらの言葉を信じていて、大人からそんな言葉を言われるたびに、僕はとても怖く感じていたように思う。

しかし、小学校の高学年にもなれば、「ふん、そんなもん迷信に決まってるやんか」と腹の中で毒づいていた。

「ナメクジにオシッコかけたら、おチンチンが腫れる」というのもあった。

友達と遊んでいる時などにナメクジを見つけると、「そんなもん、腫れるわけがないやろ」と、粋がってナメクジにションベンをかける子がいた。

ハイ、僕です。

でも、夕方、友達と別れると、一目散に便所に駆け込み、自分のおチンチンが腫れていないかと、恐る恐るおチンチンを観察している子がいた。

ハイ、僕です。

上に挙げたような言葉の意味は、子どもたちに対する戒めだったり、危険から子どもたちを遠ざけるために言われた言葉だろうと思う。

子どもの頃は、「そんなわけないやろ、嘘八百、迷信、迷信」と思っていた時期もあったが、年をとると、なんだか味わい深い言葉だったんだなと思うようになってきた。

ヘビに、雷様に、おばけなどは、子どもの恐怖心を煽るにはもってこいのキーワードだが、どことなく面白味もある。さらに迷信とは言え、そこには先人たちの生活の知恵が詰まっているような気がする。言い過ぎだろうか。

「危ないからやめとけ」、「近所迷惑や」などと直接的な言葉を投げかけるよりも、実際に子どもたちには、効き目があったようにも思う。

先日、久しぶりに家族でお寿司屋さんに行った時のことです。

寿司をつまんでいると、隣にいた下の娘が、突然、僕の方に自分の手を見せて、「おとうちゃん、見て。ささくれが痛いねん」と言ったのだった。娘の指は、どの指もささくれがあり痛そうだった。

でも、僕はここぞとばかりに「親不孝やから、そうなるんや」と、次女に言ってやったのだが、次女の方は何を言われたのか意味がわかっていないようで、きょとんとしていた。

でも、親子のやり取りをそばで聞いていたお店の大将(見た目七十代後半)は、僕と目が合うと、とても穏やかな表情をして、「ウンウン」とうなづいてくれたのだった。僕はうれしかったですね。大の大人が、と言われそうですが、なんだか、「お父さん、いい子育てしてるな」と、褒められているような感覚になりました。

僕は、僕の子ども時代に見聞きしたこと、教わったこと、起こった出来事など、とにかく何でも、子どもたちに話すようにしています。それはいいことも悪いこと含めてできる限り全部です。

ノスタル親父の思い出話に付き合わされる子どもたちは、正直めんどくさいと思っているだろうが、そんなことは知ったこっちゃない。それが我が家の子どもとの向き合い方であり、教育方針だから。取捨選択は子どもたちのほうでやってくれたらいい。

それと、僕が親の世代から見聞きしたものを、子どもたち(の世代)に伝える義務があるように思うからだ。
(で~た~、しったか親父の賢いアピール)

そして、実は、親から僕に、僕から子どもたちに教えている言い伝えのようなものが一つだけある。

あれは、僕が小学校の低学年ぐらいだったろうか。

正月、初詣に行った時に、木の枝にたくさんくくり付けられた白い紙が気になり、「あれは何」と聞いたことがあった。オカンが「あれは、おみくじやわ」と言って、おみくじについて説明してくれたように思う。

それで、僕もおみくじを引いてみたいと言ったのだが、オカンからはおみくじは引いてはダメだと言われたように思う。

その理由は、オカンの父親、つまりは僕の祖父にあたる人が、おみくじを引いた年に戦争で亡くったから、おみくじは引いてはいけないとのことだったように思う。

だから、アラフィフ親父の僕は、今までに一度もおみくじを引いたことがない。そして、自分でも不思議に思うことだが、オカンの話を聞いて以降、一度もおみくじを引きたいと思ったことがない。

僕から娘たちにも、オカンから聞いたおみくじにまつわる話をしている。だけど、オカンから僕が言われたように、おみくじ禁止令は娘たちにはだしていない。でも、僕と同様に、娘たちもおみくじを一度も引いたことがない。

親の手前、遠慮しているのかもと思い、初詣の際、何回か、「おみくじ、引いてみるか」と娘たちに聞いたことがある。でも、返ってきた答えは、「興味がない」というものだった。できた子どもたちである。
(で~た~、親バカ炸裂)

ところで、「お前は、橋の下から拾ってきた子どもや」というのもあった。この言葉は、果たして迷信、言い伝えにあたる言葉なのだろうか。ちょっと違うような気もする。

だけど、昭和のガキなら悪さをしたときに、一度はオカンから言われた一撃必殺の言葉だったように思う。

僕は、オカンからこの言葉を言われるたびに、オイオイと泣いていたことを今も思い出す。

言葉の暴力?そうかもしれない。 

それくらい僕にとっては効果てきめんの言葉だったように思う(笑)







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