見出し画像

NYから見えてくる教科書が語らないアメリカの移民問題

中学校の地理の時間に、アメリカのニューヨークという街は、世界中からやって来た多様な人々が暮らしていて、「人種のるつぼ」や「サラダボウル」という別名を持っていると習い、大きな驚きを持ったことは、あれから30年経った今でもはっきりと覚えています。

東京で生まれ育ち、日本人に囲まれた環境で育ってきた私にとって、多様な人たちが暮らす場所は別世界。そのニューヨークに、大学一年生の時、弾丸旅行で訪れたことがきっかけで、それから10年後の2009年に移住するとは、初めてニューヨークのことを知った中学生の当時は思いもしませんでした。

マンハッタンの象徴とも言えるエンパイアステートビル。その手前は市民の憩いの場であるブライアントパーク。ビルと自然が共存した不思議な街とも言えるニューヨーク

世界中の人たちを惹きつけるニューヨークの魅力

この街で暮らして早14年。ニューヨークは、ニューヨークという都市ではなく、ある意味、「国」とも言えるほどにアメリカの他の都市とも、今まで旅行で訪れた世界中のどの都市とも違う、という想いを持ち続けてきました。それは、ニューヨークがまさに「人種のるつぼ」だから。数百とも言われる言語が話されていて、会おうと思えば世界のどこの国の人にも会えるような都市は、世界中見渡しても、ここニューヨークしかないでしょう。

他ではなかなか食べることのできない世界各国の本場の味を楽しめるのもニューヨークならでは。写真は、ニューヨークでも珍しいヒマラヤ料理。登山の前のエネルギーチャージ食を再現したセットメニュー

命懸けでアメリカへやって来た移民たち

ニューヨークに住んでいる日本人のバックグランドは様々ですが、仕事や勉強などキャリアアップのためにこの街にやって来た、という人が多いはずです。しかし、ニューヨークで暮らす移民たちは、そうした恵まれた環境の人たちばかりでないことは、ニューヨークに越してきて割と早い段階で知ることになりました。

福井県で2年間英語を教えていたというニューヨーク出身で親日家のメキシカンアメリカ人の男性とは、渡米間もないころに知り合って以来、友人関係が続いています。私がニューヨークで再開することになった書道の教室を紹介してくれたのも、当時熱心に練習に通っていたその友人でした。親しくなってしばらくした頃、自分の両親は、それぞれ、メキシコの異なる町から国境を超えてアメリカへと入国してニューヨークで出会って結婚したことを話してくれました。マンハッタンで親戚が営むメキシカンレストランで働いているというお父さんは、車のトランクに身を潜めて国境を越えたそうです。不法入国なので見つかれば強制送還で、命懸けだったことは間違いありません。

アメリカで働くためには、就労が許可されたビザやグリーンカードの保持が義務付けられていますが、いつの時代も、それは容易なことではありません。就労ビザがないために正規の仕事に就けずに、現金の日払い労働のような仕事を渡り歩いている人もいるのが現実です。それでも母国にいるよりも良いからと、アメリカへやって来る人は後を絶ちません。

アメリカの歴史に残るレーガン大統領の大胆な移民政策

そんなアメリカの移民の歴史に残るのが、レーガン大統領による不法移民の恩赦。1986年秋に移民改革および規制法に署名し、1982年1月1日より前に米国へ「不法」入国した移民に対して、過去の税金等の支払いなど一定の条件のもとで、グリーンカードを発行したのです。これにより、3百万人もの不法移民が合法的な移民になったと言われています。

第40代アメリカ大統領、ロナルド・レーガン。1981年から1989年までの2期大統領を務めた。
(c) Britannica

後にも先にもない大胆な政策。しかも、移民に対して風当りが強いはずの共和党出身の大統領がこうした政策を行ったというのは興味深いです。レーガン大統領の意図は何だったのでしょうか。税収増加やアメリカ国民の増加による経済的繁栄など、将来を見据えた国家的戦略であったことは間違いありません。

不法移民の人たちは、不法滞在であることが見つかれば母国への強制送還の可能性もあり得ます。そのため、彼らはアンダーグラウンドでのひっそりとした生活を余儀なくしてきました。しかし、レーガン大統領による恩赦でグリーンカードをもらえた人たちは、その後、堂々と表舞台で暮らし、仕事に従事できるようになったのです。人生が180度変わった人たちも多いでしょう。正規就労者の増加は、米国への納税増加をも意味します。そうした人たちを雇用している企業も給与税等を納付することになりますので、レーガン大統領の移民政策は、国全体の税収増加に寄与したことは間違いありません。また、彼らがアメリカ国内で結婚して家族を増やしていくことは、その子供世代、さらには孫世代もアメリカの発展を担っていくことにつながります。

こうした長期的なことも見越して、そもそも「不法」だった人たちを「合法」としたその思い切りの良さは、アメリカの移民法の歴史上、語り草となっている出来事です。前述したメキシカンアメリカンの私の友人の父親も、レーガン政権の恩恵によってグリーンカードを取得し、今に至っていると聞きました。この政策がなければ、いまだに不法移民としてひっそりと暮らさざるを得なかったかもしれません。

移民対策で新たな局面を迎えたアメリカ

移民なくして発展がなかったアメリカにとって、移民との関係は切っても切れません。レーガン政権からおよそ50年。今、アメリカは新たな岐路に立たされています。移民に対して強硬姿勢を取り続けたトランプ政権を非難して大統領に就任し、移民に寛容だったはずのバイデン政権が、メキシコとの国境の壁の建設を再開すると、今年の10月5日に公表したのです。

今、アメリカで何が起こっているのでしょうか。コロナウイルスの拡大を防ぐためとしてトランプ政権が打ち出した、中南米からの移民流入を制限していたパンデミック時の時限立法が今年の5月11日に切れたため、その後、メキシコとの国境を渡って、テキサス州へと入って来る移民が大幅に増加しました。

移民に否定的な姿勢を示す共和党出身のテキサス州のグレッグ・アボット知事は、移民の受け入れは不可能だとして、移民に寛容と言われる民主党政権が基盤の大都市、すなわち、ニューヨークやロサンゼルス、シカゴ、デンバー、ワシントンDCへの移送バスを再開しました。

突然、中南米の母国とは全く違う摩天楼にやってきた移民たちは、言葉も生活環境も違うニューヨークで、一体どうやって暮らしているのでしょうか

ニューヨークで起こっている前代未聞の移民問題

移民の受け入れは、受け入れ側にとって大きな負担を意味します。滞在先の確保や洋服や食べ物など生活必需品の提供、移民の子供たちの学校の手配など。受け入れ都市や州の財政負担も大きいため、移民に反対の住人が多い共和党を地盤とする州の知事にとっては、移民を受け入れてしまうと有権者からの信認を失ってしまい、ひいては政治生命を失ってしまう可能性もあるため、断固として移民拒否の姿勢を貫いています。

テキサス州から移民を送られた都市は、人道的な観点からも彼らを受け入れる以外の選択肢はありません。ニューヨーク市では、パンデミックを機に稼働率が下がって空室が多いホテルを移民たちのシェルターとし始めました。その一つとなったのが、マンハッタンの一等地に構える歴史あるルーズベルトホテル。日中ホテルの前を移民たちが占拠し、英語を自由に操れない彼らの多くはレストランの配達員となり、そうした自転車がホテル前を埋め尽くしていた光景は、ニューヨークのメディアでも大きく報じられました。

いっときよりはだいぶ落ち着いた様子ですが、それでも以前とは違って少し物々しい様相のルーズベルトホテル前(2023年9月半ば撮影)

こうした移民の子供たちは近くの公立の学校へ通うこととなりましたが、英語が母国語でないため授業についていくために特別なケアが必要だったり、既存の生徒たちとの学力差があるために授業の進度にも支障がでているとして既存生徒の保護者たちからのクレームが入ったりしているという話を耳にしたこともあります。

今年の9月28日付けのニューヨークタイムズ紙によると、2022年春から今までの間にニューヨーク市へ流入した移民の数は11万8千人を超えているそうです。その多くは、経済や政情不安からベネズエラを脱出した人々であると言い、人口2千9百万人の国の7百万人が国外へと避難したそうです。ニューヨーク市は今年だけで移民の対応のために50億ドルを使い、移民の流入が今のペースで続くと向こう3年での出費は120億ドルにものぼるとしています。ニューヨーク市の財政を逼迫し、ニューヨーク州からの支援も受けているものの、それでも足りず、エリック・アダムス市長はこの秋、非常事態宣言を発令しました。そして、自らワシントンDCまで出向いて、バイデン大統領に、連邦政府からの財政支援や亡命希望者たちの労働許可証取得プロセスの迅速化を懇願したのです。

ホームレスのシェルター(避難所)でベネズエラからの移民の世話をするソーシャルワーカー
(c) New York Times

難民たちのひとり立ちを支援する非営利団体のユニークな制度

アメリカンドリームという言葉も生まれるほどに、どんなバックグラウンドの人たちにも夢や希望を与えてきたアメリカ。移民の力なくしてここまで発展はなかったとも言えるアメリカ。そこには多くの支援組織があり、難民として母国を捨ててやって来た人たちへの就労支援を行っているブルックリンを本拠地とする非営利団体のEmma's Torchは、難民たちに実践的な調理訓練を行っています。接客のための簡単な英語から始まり、包丁の使い方や料理の仕方など、レストランで働くために必要なことを11週間で一から学べる研修プログラムの参加者たちは、Emma's Torchが経営するレストランで有償インターンシップといった形で、調理やサーブをしながら経験を積みます。そして、卒業後は自らの力でレストランへ就労する道を見つけて旅立っていくのです。

Emma's Torchのプログラムに参加している多様な国からの難民たち
(c) Emma's Torch

先行きが見えない母国を離れてアメリカへやって来たからといって安定した生活が保証されているわけではありません。言葉の壁や文化の壁など、様々な試練があります。そうした状況の中で、ただ物資や金銭を補助するといった形ではなく、Emma's Torchのような団体が、難民たちがアメリカで独り立ちするための支援をしているのは意義あることだと思います。

その一方で、移民や難民たちへの対応は、一筋縄ではいかないのが現実です。人道的観点からこうした移民たちを受け入れるべき、という意見もありますが、前述したように、彼らの受け入れには、汗水垂らして働いている国民たちの血税が使われていることは無視できない事実です。そのため、他の国から流入してくる人たちを、安易に受け入れるべきでないという意見も無視できません。

移民問題を語る上で忘れてはならないこと

移民問題を考える際にあまり語られていませんが、根本原因、すなわち、移民たちを生むこととなった国々の腐敗政治や強権政治に真っ向から立ち向かわなければ、メキシコとの国境で繰り広げられるせめぎ合いはいつまでも続くと思います。言葉も通じず、仕事の保証があるわけでもない見ず知らずの土地で暮らすことは、移民たちにとって、最終選択肢であったことは間違いありません。彼らは、母国で平和に暮らすことができれば、その道を選んだことでしょう。自国の政治や経済はその国の中で対処されるべきことで、他国が干渉して操ることは望ましくないかもしれませんが、国を超えてその影響が伝播している状況下では、アメリカへの移民や難民を生むこととなった国々への国際機関による対応も必至のように感じます。


2009年に単身NYへ渡り、語学学校から就労ビザ、グリーンカードを取得したアメリカでのサバイバル体験や米国人と上手に働くためのヒントをまとめた「ニューヨークで学んだ人生の拓き方 」がキンドルから発売中です。渡米したい方、日本で欧米企業で働いている方に読んでいただけたら嬉しいです。