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やばいやばいやばい。このままじゃ大騒ぎになる。いやもうなってるかもしれない。ただ小便をしにトイレに来ただけなのに、「しらせ」のトイレ情報に無知だったために一大事になってしまう。

今年も南極観測船「しらせ」(海上自衛隊砕氷艦)が日本への帰国の途中にシドニーに寄港した。毎年3月の風物詩である。大変ありがたいことに、その艦上レセプションに毎年ご招待いただいている。

ただ今年の「しらせ」はいつものように寄港はしたが艦上レサプションはいつものようには開催されなかった。例のアレのせいである。残念で仕方がない。

この「しらせ」、何年か前には南極の氷中で立ち往生したオーストラリア砕氷船の隊員66名を救助し、オーストラリアでは大きなニュースになった。日本人として鼻が高い。俺の鼻はまあ低いが、それでも高くなってしまうくらいかっこいい。

こういうでかい乗物は老若関係なく男心を鷲掴みするものだと思う。ガチャンガチャンと大きな音を立ててロボットにでも変身すればさらにテンションが上がる。

ウルムルの港に停泊している姿に近づきながら、「あ、本物だ」「おお、本物だ」といちいち感じ入ってしまう。水兵さん(搭乗員の方)たちが並んで出迎えてくれる。ニュースになった救助しに行ったまさにあの人たちなのだと思うと緊張して血圧が上がる。

ステップを上りきって荷物を預ける。会場の入り口ではキャプテン(と思われる方)とシドニー総領事夫妻が並んで招待客をお出迎えくださる。恐縮してははーっと土下座してしまいそうだ。

会場ではボーイ役の水兵服の隊員さんたちによってお酒がふるまわれていた。最初にウイスキーの水割りを勧められたのにちょっと驚く。氷はもちろん「南極の氷」だ。

キャプテンの挨拶、総領事の挨拶などがあり、料理と酒が次々と出てくる。すべて艦のシェフが作ったものだという。

もちろん有名なアレもある。海軍(海上自衛隊)カレーだ。ご存じのことと思うが海上自衛隊では金曜日のメニューは必ずカレーである。日本海軍が明治期にイギリス海軍の慣習を採用したものが現在も続いている。これも本物は実に美味い。艦上で食うと美味さ百倍だ。

そのカレーをペロッと平らげ、「真面目にやっているといいことあるなあ」と感慨に浸りながらにぎり鮨をぱくつきつつ、アサヒスーパードライで喉の奥に流し込む。

嗚呼、幸せ…。

と、トイレに行きたくなる。
俺は近くにいた隊員の人に尋ねる。
「すみません、トイレはどちらですか」
「こちらです。ご案内します」
トイレに行くのも隊員の人が誘導してくれる。素晴らしすぎる。

で、しらせのトイレ。

当然のことながらおしゃれ感無視、機能重視的トイレ。
それもかっこいい。

先客で有名陶芸家のS先生が用をたしておられたが、隣に行ってなんだか邪魔するのも悪い(話もしづらい)と思って声をかけずに個室へ。ステンレス製のがっつりした便器を想像してたのに、予想に反して便座はウォシュレット。近代的だ。

用をたして水を流そうとボタンだとかレバーだとかを探すんだけど、ない。ないないない。ウォシュレットのボタン群にもそれっぽいものはない。ないないないのだ。

「え、なんで、なんで」とプチ・パニックになって、何か書いてないかときょろきょろするが、水が流せる方法を記したものが見たらない。「水を流せ」とは書いてあるけど、どうすればその水が放出されるのかが書いていない。

仏作って魂入れずとはこのことなのか、そうではないのか。

ピンチ。ピンチである。

流さず出る、という道がないわけではない。しかしそれは人としてのエチケットに反する。

次に使う人を不快にさせるのは嫌だし、交代で入ってくる人が知り合いだったりしたら最悪だ。それが総領事だったりしたら目も当てられない。

たとえすぐに誰もトイレに入ってこなかったとしても、誘導してくれたトイレ担当の搭乗員から「おい、そこのおまえ!水を流してないだろう、水を! そんなこともできないのか。おまえそれでも日本男児か!」って大声で怒られでもしたら恐すぎる。

「根性を叩き直してやる」とかいって襟元をがっつり掴まれて、いっせーのせで海に放り投げられでもしたら大変だ。シャツもネクタイも誕生日にもらったばっかりの新品なのだ。塩水で濡らしたくはない。海に投げ込まれてもなんとか濡れずに済む方法はないものか。

するとそれまで俺のレーダーに引っ掛からなかった割と中途半端な大きさのバルブを発見。

こうなったら一か八かで…、とそれをひねってみると、プシューーーーっという大きな音とともに一気に空気が噴き出し、ピぃーーーーともキぃーーーーーっとも聞こえる物凄い音が鳴り響いた。いやいやいや、まてまてまてまて。いくら俺がドジで間抜けなカメだとしても、トイレで鳴っていい音とそうでない音の区別はつく。こんなの明らかに予想の向こう側である。

急いでバルブを締め直そうとするが、ピキィーーーーっと漏れ出る空気の圧が凄すぎて、筆より重いものを持ったことがない俺の右手ではてんで歯が立たない。そうなのだ。もう水を流すどころの騒ぎではないのだ。そんなとき「これは本当にただの空気なのか?」という疑問がちらりと脳を過ぎる。ただの空気ならこのままでも死にはしないが、吸っちゃいけない気体なら死んでしまうではないか。

プチパニックの殻を破ったパニックがあっという間に俺を覆ったかと思うと、今度はドンドンドンドンっと戸を叩く音とともに、「どうしました、大丈夫ですか。開けられますか」という男の声がする。

やばいやばいやばい。このままじゃ大騒ぎになる。いやもうなってるかもしれない。ただ小便をしにトイレに来ただけなのに、「しらせ」のトイレ情報に無知だったために一大事になってしまう。ブラックリストに名前がのって、今後一切こういう場には呼んでもらえず、シドニーから追放される未来が見える。

「おい、どうしたっ?」
「どうした大丈夫か。」
「なんだこの音はっ。」
ドヤドヤと次々に人が集まってくる。何人かは分からないが、感覚的には100人くらい居るように思える。そしてその複数の声も、ドアを荒々しくノックする音も、それは全てドアのこっち側の俺に向けられているのだ。
そして俺の側ではパイプを押さえた手から漏れ出る気体と止まらない甲高い音。ああ、神様。小便した後でよかった。不幸中の幸いだ。小便する前なら恐怖のあまりに漏らしていたかもしれない。

恐い恐すぎる。
もう恐ろしすぎて声も出せない。出そうとしても声にならない。
あ”----ぁとうめき声だけ絞り出す。意識と関係なく涙が溢れてくる。
右の鼻の穴から粘り気のない鼻水も垂れてくる。でも手がふさがっていてぬぐおうにもぬぐえない。もうただただ恐ろしい。

俺はただ小便をしたかっただけなのだ。

バーン、バババーン!!
物凄い音がして戸が飛んできた。
俺が反応しないのでドアが蹴破られたのだ。
吹っ飛んできたドアを受け止めることなんかもちろんできずに、
俺は身体の左側をドアで強打。その勢いで飛ばされてむき出しになっているパイプで身体の右側を強打し、そのうえ壁で頭を打った。

薄れていく意識の中で、日豪プレスの来月号のタイトルがうっすらと浮かんだ。「書家れん氏、トイレで事故死。ウンがなかった(小便しただけだったから)。」

うーん、幾らなんでもこんなことになるわけないな。しらせのトイレに対して想像が膨らみすぎた。俺は想像の暴走を恥じる。そして近くにいた搭乗員の人に尋ねる。
「すみません、トイレはどちらですか」
「こちらです。ご案内します」
その人に誘導されながら、俺は初めてのしらせのトイレに夢躍らせた。

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