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いつか使うの「いつか」は来ない。

即断即決で整理する時短効果。

 私は年末に大掃除が必要になるほどの不用品を溜め込まないように、日頃から整理することを心掛けているため、年の瀬にわざわざ大掛かりなことはしない。

 そんな意識高い系シンプルライフを彷彿とさせるような、格好つけた表現をしているものの、恐らく世間一般の人たちよりモノに対する思い入れが強く、いわゆるもったいない病である。

 もったいない病の厄介なところは、紙袋などの捨てるのは忍びないし、いつかは使えそうなものを取り置きがちな点にある。そのいつかのためだけに結構な居住空間を侵食されるが、そのいつかは年に一度あるかないかレベルの話で、どう考えてもストックが膨大になる一方で、大掃除や引越しによって結局捨てる羽目になる。

 結果論にはなるが、それならば最初から捨ててしまえば2回以上も決断する必要はなかった訳で、認知資源の無駄遣いに他ならない。使えそうなものを「捨てる」ことに罪悪感があるため、取り敢えず保管することで、判断を先送りして、あわよくば罪悪感を感じないようにしたい魂胆で、このマインドを変えるのは容易ではない。

 自身も別人レベルで変わったと言うより、根本は大して変化していないと思っており、簡単には捨てることができない性格を自覚しているからこそ、今必要でないものは例え無料であっても受け取らないし、使わなくなったものは引き取り手が付くうちに、なるべく早く手放すようにチマチマと出品している。

 これは投資とは直接関係はないが、複利の考え方と似ており、ものを手放す、捨てる判断を先送りしたところで、状況は何も変わらず、未来の自分にその判断を委ねることになる。泥棒に盗まれでもしないと勝手になくなることはないからだ。

 これが物質的なものでなく、保険商品などの内容が複雑なものになると、一度先送りにすると再度状況を把握するのに相当な時間を費やす羽目になり、その度に先送りしていると、それらを手放す決断や実行に至るまでの時間は雪だるま式に膨らんでいく。

 即断即決していれば先送りした分の時間は別のことに使えたはずで、こちらの方がもったいないのではないだろうか。

クレカ年会費無料の曖昧な表現。

 実は、年末に大掃除はしなかったものの、あるクレジットカードの引き落としが済み、利用枠の使用がゼロになった段階で退会(解約)を申請した。

 年会費永年無料のカードだから、別に使わなくてもランニングコストが発生する訳ではないため、一般的な感覚では「とりあえず」持っておけば良いと考えがちである。それでも私は退会申請を行ったのは、短期的に使うアテがなくなったからである。

 誤解されがちだが、年会費「永年」無料と謳っているカードは、「永久」無料とは似て非なるもので、長い年月の間は無料であるものの、会員規約の変更などで有料化する可能性を織り込んだ、含みのある表現が「永年無料」であることは留意したい。

 昨今、ゴールドカードのインビテーションや、年間で一定額以上利用することで永年無料となる特典に釣られて、なんちゃら修行に熱心な方は多いものの、これらは私が調べた限り全て「永年無料」と表現している。

 必死になって実現した年会費無料の権利は、未来永劫続くものと思い込んでいると、忘れた頃に会員規約改定で梯子をはずされることになるかも知れない。修行するにしても、それ位のぬるい温度感で取り組んだ方が裏切られた時のダメージは少なくて済むだろう。

 それに例え年会費永久無料のカードであっても、不正利用の被害に遭っていないか、セキュリティの観点からこまめにメールや利用状況を確認したり、アカウントのパスワードを定期的に変更するなどの手間を考えたら、使わないカードを維持するにも多かれ少なかれ労力は必要となるため、潔く解約してしまった方が不正利用の心配もなく、それを疑う労力もなくなり理にかなっているように感じる。必要になったらその時にまた申し込めば良い。

今を生きず、未来に余所見する現代人。

 もちろん発行には審査があるため、再び必要になった時には、早期退職に伴う社会的信用がなくなっていたり、何かの手違いや他金融機関での滞納により信用情報に傷がつくなど、何かしらの影響や手違いで審査が通らない可能性も想定される、そうなった時はその時で考えれば良く、起こってもいない未来のことを考えても仕方がない。

 実現するかも定かではない未来に備えて、今この瞬間に最適ではない選択をして、現在を犠牲にすることほどナンセンスであることは、自身が身を以て体験している。

 これまで早期退職を夢見て、収入より遥かに低い支出で慎ましく暮らし、ストイックに投資元本を積み上げていたが、自覚はなかったがどこかで無理を重ね続けた結果、20代半ばにして大病を患い、「今を生きていない」ことを痛感し激しく後悔した。

 物理的な体力が若干心許ないが、やり直すだけの時間と経済力は有しているため、それ以来、中長期で描くビジョンの方向性がざっくり合っていれば、未来は成り行き任せでその場で判断することにして、比較的見通しのつきそうな向こう1年程度の、短期目線で最適化された生き方に変化するようになり、「今」必要でないものは手放せるようになりつつある。

 私を含め、なんとなく周囲に合わせてサラリーマン人生を選ぶ日本人が圧倒多数だが、未来永劫守られるかも定かではない安定のために、今を死んだ魚の目をして満員電車に揺られて通勤したりしていないだろうか。

 将来、家庭を持つことを考えたら、どんなに辛くても今の正規雇用にしがみつくしかないと思い込むのは、所帯持ちや家庭を持つアテのある人だけで良いはずだが、何らアテもない新社会人であってもこの呪縛に囚われている人は多く、起こってもいない未来のことを考えて今を犠牲にしている感は否めない。

 そのまま会社の言う通りにしたところで、中年以降に若手時代の安月給が回収できるだけの賃金になっていないかも知れないし、業績不振で希望退職を仕向けられるかも知れない。定年後に再雇用されるかも定かではないだけでなく、老後破産しない程度の年金が貰える保証もない。

 それに身を粉にして働いた結果、心身が壊れても会社は責任を取ってくれない。壊れた人生を背負って生きなければならないのは自分自身でしかなく、入院生活でそんなことを考えが一巡したからこそ、私はレールから外れる道を進む覚悟ができた。

 価値観は人の数だけあり、誰にでもできる類の決断でないことも、それが個々人によって最適解ではないことも重々承知しているが、似たような境遇の方々に勇気を与えられるように、今春から自ら実験体となって今を生きようと思う。


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