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生きているだけで丸儲け。

自分さえ良ければそれで良いのか。

 ここ数日、FRBの利上げ減速への期待感や、アメリカ中間選挙の影響もあり、為替相場のボラティリティが激しい状態で推移している。その煽りを受けているのか、鉄道員とは切っても切れない人身事故の頻度が増加しているように感じる今日この頃である。

 少なくとも全く関係がないとは言い切れない。私の感覚ではリスク許容度を見誤った一発逆転を夢見る社畜リーマンが、FXでポジションと逆の値動きをしたことで追証が発生し、フルレバレッジが故に強制決済となり、多額の借金だけが残る形となって、月曜日の通勤時間帯に衝動的に飛び込むケースが多数だと推察している。

 しかし最近の傾向では、20代前後、特に学生の飛び込みが目立つ。とはいえ、これらの情報は報道機関を経由している公のもので、半分近くは年齢が公表されていないため、偏った意見であることは自覚している。それ位、若くして飛び込むのが珍しい、と言った固定観念が私にあるのだろう。

 実際に、現場で人身事故が発生した場合、レスキュー隊を要請するのだが、文字通り死人に口無しのケースが大多数であるため、救護者の年齢を現場で知ることはなく、119番通報で問いかけられても年齢性別を正確に伝えるのが難しい場合が多い。

 身元が判明するのは救急隊に引き継いだ後の話であることから、鉄道会社側は個人情報保護の観点からも救急隊から救護者の情報を引き出すのは限界があり、詳しく知るのは報道時だったりするため、社内の事故報告書を提出する際に空欄まみれだった記憶がある。

 因みに、これらの業務を通常平社員が行うことはない。私は偶然にも、管理職が居ない駅でいわゆる駅長の代行業務に従事していたその日に、自駅で人身事故が発生したため、他駅の管理職が応援が来るまでの間、現場責任者として初期対応を行った経験があるだけで、レアケース中のレアケースである。

 警察も救急も、現場責任者が弱冠で何の役職もない、何なら鉄道の制服を着ていなければ、大学のキャンパスに居た方が自然な外観の青二才が、現場責任者として従事させられている実態に驚きを隠せないでいたように記憶している。

 こんな長々と自分語りをしてしまったが、言いたいことは端的で、何事も自分さえ良ければそれで良いと思わないで頂きたい。これだけである。

誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある。

 これは複利を人類最大級の発明だと絶賛したアインシュタイン博士の名言である。最近の日本社会は何かにつけて世知辛い世の中であり、経済的にも、心理的にも、多方面で余裕のない人が増えているのは間違いなく、つい自分さえ良ければと私利私欲に溺れそうになる時に、この言葉を思い出すと、これから実行しようと思ったことを踏みとどまれるかも知れない。

 自身に原因があって損失を被ったが、お客様至上主義に漬け込み、嘘のクレームをでっち上げれば、損失を取り戻せるかも知れないと期待して、何人もの人を巻き添いにする形で迷惑をかける旅客を職業柄、そこそこの頻度で見る度に、察しと思いやりを美徳とする日本人はどこへ行ってしまったのやらと呆れる。

 非番でガラガラな銭湯で適当に座ると、そこは俺が座る場所だと主張する残念な老害が一定の割合で出現するため、ここは公衆浴場だ。テメェ専用の場所なんかねぇと丁重に突っぱねては、誰も入っていない浴槽で、ジャブジャブ垂れ流している蛇口を見つけては硬く閉める。

 料金を支払っているから浪費しても良い理由にはならない。近い将来、世界的に深刻な水不足が到来することが予想されている貴重な水資源を、大切に利用しなければ、後々将来世代に恨まれるのは明白で、少し考えればどう行動すべきか分かる筈である。

 少しくらいとゴミの分別を怠ったり、バレないだろうからと可燃ごみの袋に缶や瓶を忍ばせていないだろうか。迷惑を被るのは回収業者と将来世代である。ごみの最終処分場の寿命は短い地方であと20年、東京でも50年と言われている。

 瓶、缶、ペットボトル、段ボール、古布、古紙などは、リサイクルできる資源は資源回収の日に出すことで、ゴミの総量を抑制できる。ラベルやキャップ、テープなどは剥がし、純粋に資源として再利用できる状態で指定された期日に出す。

 当たり前のことである筈だが、きちんと出来ている人は恐らく少数派だろう。そう思うのは私の居住地の民度が低い可能性も否めないが。しかし、当たり前のことを面倒でも当たり前にやるだけで、ゴミの回収業者さんや、ゴミの最終処分に困る可能性が高い将来世代の為になる。

 社会のレールから外れた落ちこぼれでも構わない。自給自足ライフでもしない限り、生きていく為には何かしら物を買わなければならないのだから、生きているだけで金銭を消費して、間接的に誰かの役に立っている。

 生きていることと、自分さえ良ければなどと考えなければ、誰かしら付いて来てくれる仲間が表れるだろうから、若くして将来に絶望して自決を選んでしまうのは、時期尚早ではないかと思う一介の鉄道員であるが、来春から社会のレールから外れて、世間的には落ちこぼた状態を地で行く人生を歩もうとする奴の戯言であるため、言葉半分に読んで頂ければ幸いである。


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