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普通、いきなり違う所には住まないらしい。


行ったことのない街に引っ越すスキゾ。

 東京もんが地方移住してから1年が経過しようとしているが、案外引きこもり陰キャ生活そのものは、電気、水道、インターネットのインフラが整備されていて、生活圏内にスーパーが2軒以上あって、特売日に応じて選り好みできれば割合不自由しないもので、不便な印象が先走っていたが故に、拍子抜けしている今日この頃である。

 移住前にグーグル先生で情報収集をして、生活様式のビジョンを思い浮かべたからなのか。元駅員で複数の駅で泊まり勤務を繰り返していた影響から、環境適応能力が鍛えられたのか。

 もしくはその両方かは分からないが、突然行ったこともない街に引っ越したとしても、特に問題が発生しないことを体感として得られたのは個人的な収穫だった。

 私が生まれるより前、それも干支が一周以上遡った1984年の流行語大賞に「パラノからスキゾへ」が挙げられたらしい。

 パラノとスキゾをざっくり表すなら、対立構造でパラノイアがひとつのことに執着するタイプ、スキゾフレニアは執着のないタイプと分けられる。 

 変化の激しい時代の場合、執着しない後者が適している論調から流行語へと発展したらしいが、いかんせん生まれる前の出来事で、リアタイでは経験していないため他人事のようにしか記せない。

 個人的には農耕民族の名残で、定住を前提とした生活様式は、その土地に執着している意味でパラノイアのそれであり、私のように行ったことのない街に引っ越して、毎回有り合わせで生活を成り立たせている狩猟採集民族のそれに近い状態がスキゾフレニアだと捉えられる。

知恵を絞り、有り合わせで何とかするセンス。

 そして、スキゾフレニアの行き着く先は、国土を持たない民として有名なユダヤ人的な生き方と思われ、迫害の歴史があるが故に、ユダヤ人は世界人口のわずか0.2%しかいない少数民族となっている。

 しかし、ノーベル賞受賞者の5人に1人がユダヤ人なのも、また事実であり、ユダヤの教典となっているタルムードには、「学んだことは誰にも奪われない」ことが示唆されている。

 裏を返せば日頃、我々がこだわったり求めたりしがちな、資産の多寡であったり、肩書きという名の社会的地位とか名誉などと言うものは、何かの拍子に簡単に奪われてしまう脆弱なものとも捉えられる。

 ましてやICT化により、社会が目まぐるしく変化している訳だから、昔なら勝ち組だと思い込めた状況でも、数年後には泥舟に乗っていることになるかも知れない。

 そんな時に肩書きとか待遇に執着してしまうと、泥舟だと薄々気が付いていても、しがみ付いては所属している組織と一蓮托生になりねない。

 だからこそ直感的にやばいと感じた時に、後先考えず真っ先に抜け出せる勇気と、知恵を絞って有り合わせで何とかするセンスが、AI時代が到来する可能性が高いからこそ、必要になってくるものと思われる。

 昨年末に放送されたガイアの夜明けで、某中古自動車販売・買取会社の密着取材が組まれていた中で、整備士の資格に傷が付くからと転職先を決めずに退職した元社員が出てきた。

 何ら利害関係のない外部から客観視していると、当たり前の判断だと受け取りがちだが、残っている社員との割合で比較したら少数派だろう。

 世間が除草剤、靴下、ゴルフボールの3点セットで騒ぎになり始めて、先行きが分からない時期に、その渦中に居る当事者として上記の判断に至ったのは紛れもなく英断であり、全貌が明らかになってから動いたのでは、手遅れになるリスクは、それなりに高いのではないかと感じる。

いつでも移れるよう、コンパクト化する。

 そう考えると、良い大学を出て、良い会社に就く、定住が前提のパラノイア型のライフスタイルが、若い世代ほど持続可能と考えておらず、定年まで逃げきれるとは微塵にも思わずに、現状維持では多分どこかで行き詰まる的な考えから、早期のキャリア形成を望むのは自然な流れと捉えられる。

 先人たちが敷いた年功序列、終身雇用という名のレールが、どこかで途絶えて終点までは走れない未来を思い描くならば、そもそもレールがなくとも自走できる何かしらの能力と、状況に応じて順応できる身軽さが必要なのは想像に難くない。

 前者は賃金を受け取りながらスキルセットを揃える経験が、就いた職種によってはできるため育めるが、後者はアイデンティティに関わる部分のため、これを変えるには相応の覚悟が求められるだろう。

 比喩で表現するなら、これまでの人生で生やして来た根っこを、自らの意思でむしり取る作業を行い、ホームセンターで扱っている苗みたく、品種ごとに小さな鉢に納まっていて、いつでも別の土に移せる状態にコンパクト化する感覚だろうか。

 金融資本はどこに住んでも変わらないよう、ネットに一本化する。人的資本はどの組織に属しても大丈夫なように、ポータブルスキルを中心に育む。社会資本はしがらみが発生しないよう、淡白な人間関係を形成するよう努める。

 上記を意識して生きていると、私が経験した、突然行ったこともない街に引っ越したとしても、特に問題が発生しない感触が得られるものと思われるが、タイトルに冠したように今現在の常識と照らし合わせると、決して「普通」ではないことは肝に銘じていただきたい。


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