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オオカミが来た!と連呼する末路。

異次元、改革を連呼し続ける役人。

 異次元の少子化対策、異次元金融緩和、働き方改革、デジタル改革、規制改革、地方分権改革…「異次元」とか「改革」とか、いかにも変えてやるぜ!的なポーズを、この国の役人は取り続けている。

 しかし、我々の生活が、少しでも良い方向に変わっただろうか?即座に思い浮かばないが、仮に若干のプラスがあったとしても、増税や社会保険料の負担増で相殺どころか、むしろマイナスとなっているのが、庶民の肌感覚としては近いだろう。

 その「庶民の肌感覚」にも異変が生じている。高卒20代でドロップアウトした私の人生史上、最高年収は400万円ちょっとと、日本人の平均以下ではあったものの、非大卒だとこの待遇ですら僻みの対象となりつつある。

 平均だと、一部の異常値を叩き出す高給取りエリートが、それを引き上げてしまうため、すべからく当てにならない。

 平均値以下であっても、中央値よりは上に位置していたため、非大卒で日本人の上位半数の収入を得ていたら、貸与型奨学金を借りてまで大学を出たのに、下位半数側に位置する人が面白くないことくらい、言われなくても理解できる。

 これは中流が没落して、国全体が貧しくなっている何よりの証拠だろう。一億総貧困社会と揶揄されるのも納得である。

 冷静に考えて、年収400万円の会社員が源泉徴収される所得税率は、最下限である5%の範囲に収まり、決して高給取りではない人間が、目の上のたんこぶ扱いされる社会が異常なのである。

 まるで、農民よりもさらに低い身分をつくって、マジョリティの反乱を抑制して、260年続いた封建的身分社会そっくりである。要するに、「異次元」とか「改革」とは名ばかりで、何ら変わっていない証拠である。

 逆説的な見方をすると、キャッチーな言葉を羅列しているうちは、何も変わっていない証拠だろう。そう考えると、現状は言葉遊びに明け暮れているだけで、本当に変える気などなく、単なるポーズに過ぎないと捉えられても致し方ない。

 本気で少子化対策に取り組む気があるのなら、兵庫県明石市のように、とっくに動いて民衆の支持を得ている筈である。

イソップ寓話の結末。

 誤報を繰り返すことで信頼されなくなり、いざという時に信じてもらえなくなる。子供の頃に教わった、どこか懐かしい某オオカミのイソップ寓話感が漂っている。

 この寓話は、少年がオオカミの誤報で遊んでいるうちに、大人たちが信用しなくなり、本当にオオカミが来た時に、少年は信じてもらえず、大人たちが武器を持って来なかったが為に、羊が食べられたところで終わり、日頃の行いの重要性を学ばされたように記憶している。

 一応、あらすじだけでも確認しようと、Wikipediaの解説を読んでいたら、少年時代には気付けなかったが、月日が経って知見も広がった今だからこそ、なかなかに考えさせられる内容が記されていた。

”羊は、人々の暮らしには欠かせない動物で、乳、肉、羊毛を採るために飼育されてきた。特に羊毛は、赤子が冬を越すために重宝されたため、羊毛なくして人は増やせなかった。 それほど貴重な羊を、狼に全て食べられたのだから、この村は言わずもがな、滅びてゆくことになる。”

嘘をつく子供|Wikipedia

この国は言わずもがな、滅びてゆく。

 赤子が冬を越せなければ、現存している者全員が老衰して、寿命を迎えた瞬間に村が滅びる。今の日本社会にそっくりそのまま当て嵌まるようで、もはや寓話ではない。

 タチが悪いのは、オオカミのような分かりやすい標的が存在せず、役人が「子供が足りないぞ!」と叫んでいるが、失われた10年、20年、30年と、何もせず、問題を先送りし続けた政治への不信感から、いざ本気で変えようとしても、大衆が協力する気もない点だろう。

 これには、年金や医療などの公的保証制度の財政破綻を、堺屋太一さんが人口動態を元に90年代後半に破綻すると試算しており、見事的中させたにも関わらず、問題が表面化したのは2004年の年金改革以降と、当時の官僚が頑固でも真面目でもなく、ノブレスオブリージュの精神を忘れ、自分さえ逃げきれれば…と先送りし続けた根深さが潜んでいる。

 この頃に、社会や企業の中核を担っていたのは紛れもなく「団塊世代」だが、問題を先送りし、何も行動せず将来世代(現代の現役世代)に問題を押し付け、自分たちは責任の過半を負うこともなく、ノコノコ逃げ切ろうとしている。

 そしてなぜか我々が、将来世代に負担を強いてはならないと、団塊世代が元凶の先送りしたツケの尻拭いをさせられている。責任を負うべき世代が負わずに、押し付けられた世代が負っている。こんな、ちゃんちゃらおかしい状況で、世代間の分断を煽るもクソもないだろう。

 無責任な世代から一方的に押し付けられた責任を負う義務はない。だからこそ、資産家優位な税制をハックして、分離課税を駆使し、あくまでも合法的に税務上の低所得者を装い、税や社会保険料が徴収できない形で、自衛かつ反抗する原動力になっている。

 懸命な労働者が働けど罰金(税)塗れで楽にならず、かつての私のように、過負荷で潰されたら報われるどころか、社会システムの枠から排除される仕打ちで、恩を仇で返される無理ゲー社会。

 その一方で、働かない者には労働者の税を原資に賞金が与えられる。しかし、相互扶助システムの受益者が増え過ぎて、機能不全を起こしている。その蛇口を閉める必要があるのは明白だが、シルバーデモクラシー故に誰も触れない。

 無責任なほどに何もしなかった世代に容赦する必要などない筈だが、政治家という名の特権階級は、何もしなくても裕福に暮らせる現状を、維持することしか考えていないのだから、結局は自分が可愛いのである。

 しかし、現役世代が労働しなくなり、生活保護やら何やら受給し始めて、賞金を貰う側に移ると、蛇口の水源を失うのだから、おこぼれもクソもなくなり、否応にも動かざるを得ないだろう。

 社会変革の贄となるなら、それで構わない。それを覚悟した上で抗っている。ひとりひとりの力は微々たるものだが、拡散して束になると、社会変革につながることを信じて、今日もフリーライダーを演じている。


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