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What is(本人がいるところ)で出会う② 〜すれ違い 〜 失敗クラブ

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その後、少し時間がたち"応援”を素直に受け取れるようになりました。

そして、数ヶ月後…。

全くの別件で、私が”もしかして〇〇が起こって突破口が開けるのかな?"と思ったことがありました。

それで、それに関係している人に「想像なんだけど、もしかして突破口が開ける感じがあるの?」と聞いてみました。

そうしたら聞かれた人(私が聞いた人)から「なんの話か全くわからないし、それを聞きたい意図と目的が知りたい」と返ってきました。

「そうか、〇〇が起こるのかな?と想像していて、そうだとあなたも他の人にもいい知らせだと思ったから、そうだったらお祝いしたいと思って聞いてみたんだけど、なんの話かわからない、と聞いて、そうなのね、と思っている」と返しました。

聞かれた人はその後少ししてから「なんか圧を感じた。望んでいることがあって、そっちに押されるような感じで嫌だった」と教えてくれました。

それを聞いた時、私は動揺して、私が望んでいたことは、お祝いだったのだけれど、それでも嫌だと感じることがあるんだな、というのと、この「相手が感じている嫌な感じ」と、「私の中の動揺と罪悪感、気軽かつ迂闊(うかつ)に質問するんじゃなかった、と恥を感じていること」について考え始めました。

私が学んでいるNVCでは、私の理解では(私は認定トレーナーではないのでNVCの本質をまだ掴んでいない可能性があります)
「罪悪感や恥は「悪いことをした」と考えることにより生じる」と考えます。
同時に「人は常に最善を尽くしていて、その時に選択した言動以外の言動でより素晴らしい結果が生じるであろう、と思えることが選択肢として挙がっていてそれが選択できている状態であれば(他の表現を知っていれば、他のことに思い至っていれば、など)、もちろんそちらを選択していたであろう。最善の結果に至らない選択をしたとしても、常に最善を尽くしている、それを思い出し、自分と他人にcompassionとケアを持ち続けたい」ということも学びます。

そして、3つの問いが生まれました。

・ 私も相手も誰もが最善を尽くしていて、誰も悪くないとしたら、
  この状態をどう捉えることができるのだろう?

・ 応援したい気持ちや、こうだったらいいな、と望み、望んだ通りで
  あればお祝いしたい気持ちがすれ違い、ストレスになるのはなぜなの
  だろう?

・ そして、それが本当に応援やお祝い、ニーズを満たす力として発揮
  できるとしたら、それはどんな感じなんだろう?

また長くなったので③に続きます…。

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