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「ストレンジャー・シングス×ファミマ」の話からの~、RHRの未来に関する大事すぎる話。明日(11/1)で創業9周年なのだよ。

たぶん初めてコラボ商品なるものを買いました。ファミマブランドの靴下とかタオルとか。なんとストレンジャー・シングスとコラボしたんですよ。デザインも妙にカッコよくて、つい今日この日を待ち焦がれてしまいました。3つの商品があったので、とりあえず全部買って家に帰ったのですが、なんと奥さんも買ってました(笑)。一夜にして、奥さんは全商品を2つずつ所持する羽目に。当人も、なんかトゥーマッチすぎて嫌気な顔してましたね。オレのせい?だよね。

さて、打って変わって会社の話。

本日、やっとこさ弊社の全体像がビジュアル的に見えてきました。これまでは、やれ概念だとか、やれ根本だとか。そういう意味の部分を探求しつづけてまいりまして、それはとても有意義だったのですが、いざVIに落とし込もうとすると「あれ?ロジックだけじゃ務まらんぞ」と相成ったわけでございます。そんなことはコピーライター兼クリエイティブディレクターとして百も承知だったはずなのに、渦中にいるとわけがわからなくなるんですね。

というわけで、その渦に呑み込まれ、流され、そして中央にたどり着くや否や、くるくると渦の奥底へダイブしていったわけです。そして、RHRの潮流を生み出す波動を突き止めました。

それは、「野生」と「理性」です。

野生的な一面と理性的な一面がぶつかることで波動が生まれ、それが渦潮となっていたんですね。果たしてこの2つの言葉が適切なのかは検証が必要ですが、人間本来の野生感とか快感と、変化する時代の機微や苦悩を捉える理性。両社を常に掛け算しつづけクリエイティブに昇華することこそが、RHRの波だったのだとわかりました。

そして、理性は一律じゃありません。キーワードは「時代」となるため、常に変動するわけです。その時代の機微を捉え、法人としての姿も変えていくこと。一つに縛られちゃいけないんですね。個人に目を向けていたと思いきや、ある時から集団を中心に考え始めるかもしれない。それを一クリエイティブワークとして表現するのではなく、事業体ごとメタモルフォーゼしていく。

但し、変えてはならない不変のものもあります。それが「野生」です。
人間本来に立ち返ろうぜ、せめて知っておこうぜ、できるなら快感を感じていようぜってことです。いつの時代でもあえて苦しみを目指すことはないはずです。どんな時代が訪れるにせよ、きっと「快い状態」のために何かの行動が生まれるはずです。ですから「時代」だけを捉えて、時代に迎合した論理だけを提示するのはご法度となります。あくまで、地べたは野性的でなければならない。

明日、2023年11月1日は創業記念日。9周年を迎える直前に、この波動の原理を見つけたのはかなりでかい。10周年を迎えるラストイヤーでは、この波動を軸を新生RHRをVI面でも固めていこうと思っております。

とはいえ社員の皆様、9周年を無事に迎えさせていただきありがとうございます。感謝!!!!

今週の質問「いいクリエイターってなんだろう?」

いいクリエイターの定義は人によって異なると思いますので、僕の場合に限って主観的にお伝えさせていただきますね。

いいクリエイターとは、自分のクリエイティブを100%体感的に理解できており、それを完全に掌握し、コントロールできている人のことです。つまり、おそろしいまでに濃い実体験を持った上で、それを翻訳するかのごとく表現できている人だと考えます。

何かを生み出す人、作り出す人であれば、全員がクリエイターだよね、とかいう甘っちょろい考えは嫌いです。クリエイターたるもの、つねに前人未踏を踏みしだく強烈な好奇心が必要だと思います。

可能であれば、その強烈な好奇心が先んじてしまい、クリエイティブが疎かになっているくらいがちょうどいいとさえ思います。うんうん唸って、寝ないで没頭して、やっと最後の一滴のようにアイデアを振り絞って出た…なんていうのは、まだまだ掌握できていない証拠なのかもしれません。

「ほれ」くらいの感覚で、ポイっと社会に投げる。

クリエイター当人にとっては、もはやクリア済のゲームでしかなく、無気力であっても湯水のごとくアイデアが沸くわけですから、要件なんてさほど大した話じゃない。「はい、これでしょ」という感覚でサラッと隙間時間で生みだせちゃう。

そして当人は、そのもっと先の深淵に颯爽と立ち去っていく。

そんな姿こそが、いいクリエイターの姿だと思います。

ちなみに、その深淵を、誰に言われるでもなく勝手に表現し続けている人がアーティストだと思います。彼らは、表現したいのではなく、表現をせずにいられない。その制御できない強迫観念と勝手に戦い続け、そして敗北ばかりを味わうことで、これからの民衆が歩むだろう苦難を先んじて痛感しています。彼等の探求や冒険、実験があることで、我々大衆は平坦な道を挫くことなく歩み、幸せを追求することができています。

もしも明日、この世からアーティストが全員消えたとしたら。

20年後でも30年後でも、ほんとに今と全く同じ風景がそこにあるはずです。進化が止まるということです。

いいクリエイターとは、アーティストから自身への脅迫観念を抜き、適度に深淵を踏みしだくも、表現をしようと躍起にはならずに自己完結できてしまう人。そして時に、その一部を社会にバランスよく放出できる人と言えるかもしれません。なんだか卑下した言い方ですけど、僕自身についてはそうだなって思いますし、まだそこにも至ってないなって思います。

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