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胎児記憶のお話と、産後について思ったこと、ちゃんとつながってるよ、ということ

 小2と年中の娘がいます。生まれる前の記憶、胎児記憶がある子がいる、3歳くらいまでなら覚えていられる、と言われています。おしゃべりな娘達2人にインタビューした時のお話です。

 長女が2歳の頃、ベッドでおやすみ前のトークをした時。「娘ちゃんはどうやって生まれてきたの?」少し間があり、考え出した言葉は

「ぐちゃぐちゃに」

「!!!」

 私は意味がわかりました。難産でした。子どもが3,600gサイズで私の骨盤の広さでは安産にならなかったのです。お互い苦労したので、その時のことだな、と。最後は先生や助産師さん達の手を借り、お腹を押す、吸引措置をする、での出産でした。早くに生まれられず、呼吸が苦しかった娘は大きな体で4,5日間保育器に入り、その間私は基本的にダウンしていました。出産時の大量出血や産後も続く症状が色々とね‥。

   支えてもらえることはやはり大きかったです。もし退院後、周りが支えるどころか大きなストレスを与える存在であったならば、また、大きなストレスを与えられて育ったならば、虐待を行う者にも命を奪う者にも私はなり得たということがよくわかりました。また、それがわからない人もたくさんいるということも。


 次女、3歳の冬のことです。もうこの頃には家族の女子のおしゃべり度が高く、3人いたらうるさいの法則(?)が成り立っていました。

「次女ちゃん、お腹に来る前、どこにいたの?」

「病院」

 これは何度聞いてもそう答えました。「お腹に来る前」の意味は確実にわかっています。

「そこで何してたの?」

「わたしは赤ちゃんでね、こうやってハイハイしてたの。そしたらママじゃないんだけど、ママみたいな女の人が、可愛いね〜って言ったよ。ハイハイしてたらね、ハイハイしてる赤ちゃんが来てね、鼻と鼻をつん、ってしたんだよ。それでね、笑ってたの。」

 上機嫌で動作を混じえて楽しそうにお話ししていました。彼女にはお話を創作できるほどのスキルはありません。私は信じることにしました。

「お腹にいる時は何してたの?」「上に行ったり、横に行ったりしてた」「どうやって?」「足を使って」「誰の声が聞こえてた?」「ママ!」

 ずっと逆子で、体操をしても針灸に通っても直ることなく帝王切開で出産。同時に右の卵巣が腫れていたため手術を受けました。

「なぜ頭を下にしなかったの?」「こちょばしかったの、首が」(こちょばしい=くすぐったい)

 生まれた時、首に太いへその緒があり、でも回れない状態ではなかった、と助産師さんから聞きました。

「わたし、お腹にいるの長いなーって思って、こうやってぴーんって立ってたの」

   真っ直ぐ立ったらしい。それでか。3週間早く生まれました。検診時に、即手術を言い渡されました。「今すぐ出したいが、予定がいっぱいだから明日入院、次の日手術だ、いいかい、何かあったらすぐ来るように、動かないように」

   足の側にへその緒があり、足でへその緒を押し出してしまったら終わりです。子宮からへその緒が出てしまったら、赤ちゃんは呼吸ができなくなり、10分以内に救出しないと命は助かりません。レアケースのようですが、該当しないとは限りません。入院日の朝、先生達総出のお迎えを受けた意味がわかりました。私はお昼休みの時間に手術をしてくださった女医さんをとても信頼していて、受け持っていただけてよかったです。助けていただいたこと、関わっていただけたことを病院の全ての方へ感謝しています。

   次女は自由で意志の強い子ですね、お腹にいた時から。長女は予定日が過ぎていて、明日生まれてくるよう言ったらその通りにしました。案外聞いていたのだと思います。こちらもマイペース。

   ちなみに父親と娘の誕生日が一緒です。次女の出産予定日もその日です。次女の出生体重と父親の出生体重が一緒で3,180g。次女は3,182gだったのですが、これは私が前日の絶飲食司令を若干無視して、寝る前にコップ1杯の水を飲んだせいかな、と思っています。

    家族のつながりストーリー、というだけでなく、出会う人は皆ちゃんとつながるストーリーが用意されているように思います。それが幸福なストーリーであるといいな、と切に願います。







 

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