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LETTER

なぜ花と手紙なのか。
贈り主の話を深く聴き、聴いた内容を遂語録にして手紙に纏め、花束と併せて贈るという形式にしているRICCA。

花束に添えるメッセージカードのようなものはよく見ますが、敢えて手間も時間も掛かる手紙にしている理由をここで綴りたいと思います。

そもそも、私自身がよく手紙を書くという訳でもありません。
日記のようなものを書くタイプでもないです。

それでもこの構想が出てきたのは、元々は緩和ケアに用いられるディグニティセラピーを知ったのがきっかけでした。
このセラピーを調べていたのは、マネジメントについて自身で学習している際(以前は宝飾品業界でマネジメントに従事していました)、やはり個別性が高くナラティブな側面を大切にした対話を、従業員としなければいけないのでは痛感していた時でした。様々な書籍を読み漁り、見つけたのがディグニティ(尊厳)セラピーです。ナラティブな側面に応答した療法であり、また人生の意味について深く悩む人へと向けた普遍的な問いに対する療法だったのです。当時はそれをヒントに、従業員の持つ悩みに向き合おうと模索していました。

ディグニテセラピーとは、カウンセラーが用意した9つの質問に答えて人生を振り返り、大切な人へ残しておきたい言葉や伝えたいことを手紙に纏めて渡すというものです。出来なくなる事が増え、自分には何もないのではないかと感じてしまい、自尊感情が低下してしまう中で、改めて大切なものを思い出し、尊厳を回復するという療法です。

エンディングノートのようなものに近いですが、インタビュー形式で想いを語る所にその違いを感じます。より情緒的で衝動的な部分もキャッチできる方法だと感じました。これを知った時に、まずどこに共感したかというと、終末期の方が感じる「自分には何もないのではないか、役に立たない存在ではないか」という感情はその大小はあるにしろ、私達も日常に感じるものではないかという点でした。

私は長く宝飾品業界でマネジメントに従事していましたが、日常で特に女性従業員が自尊感情の低下を招く場面をよく目にしてきました。それは自分の意思と反して、社会にある一般化された価値観を押し付けられている場面を見た時です。今の場所で働きたいけど、結婚したらパートナーの住む場所に自身の方が引っ越さないといけない、あるいは仕事を辞めなければいけない。育休明けで復帰すると以前のポストに付けず、自身の存在意義に苦悩する、など様々な課題を目にしました。

場面を変えて障害福祉に従事していた際もまたそうでした。安定した体調とメンタルを維持できなければ就職して生活ができないという社会からのメタメッセージを日々受け取り、自尊感情が低下する。
私達は日々、強さを求められて孤独を感じ、働く意味、生きる意味を問い直します。多様化が謳われる反面、幸福のロールモデルがない中で個人個人が深く悩む事が増えたのではないかと感じるこの頃です。

私はただ単に花を束ねるのではなく、自分が見聞きしてきた世界での解決策として「花」と「聴く」を事業にしたいと思いました。その時にちょうど以前知ったディグニティセラピーを思い出したのです。

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ディグニティセラピーで2つ目に共感したのは手紙です。

手紙というツール自体は今の時代めっきり使用する機会を減らしましが、改めて想いや考えを残すものとして、また書く行為そのものが自分と向き合い、内省したものを外在化させるものという点で、中々手紙に代わるツールは無いのではとも思いました。

また、書いてから受け取り主が読むまでに時間がかかるという点も、逆に今の時代には必要なことであると実感しています。手紙を書き、読んでもらうまでに待つ。読んだ後の事を想像する。そしてまた返事が届くかどうかを待つ。待つ行為そのものがめっきり減り、想いを巡らせる時間を節約するようになった私たち現代人からは想像力がなくなっていく一方です。

伝えたい想いの先より、伝えたいと思う時間そのものを届けたいと感じた時、やはり手紙という形式でなければいけないと強く思いました。

花は枯れていつか無くなります。にも関わらず花を贈るのは、残らない中で何かを残すか。常にその問いを贈る側がテーマとして持っていると思うのです。残したい何かがしっかりと伝わるかがとても不安になりますが、RICCAの花束で、そのお手伝いが出来ると思っています。

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