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テレビゲームの思い出 1970年代〜 

あまり自覚はなかったが、どうやらゲームが好きらしい。

子どもの頃にやった、大きな本体の、四角で構成された画面のゲーム。
それらを急に思い出し、懐かしくなった。

振り返ってみて、
「ああ、好きだよね、昔から。」
と思う。


初めてのテレビゲーム

1977年のクリスマス。
朝、目覚め、プレゼントがあるか確かめる。
置いてあったプレゼントは、我が家で初めての「テレビゲーム」だった。

子どもの頃、クリスマスプレゼントは、姉と私2人で1つ。
欲しいものを願ってそれがもらえる、というものではなかった。
何がもらえるかわからなかったのだが、そういうものだと思っていたし、それを楽しみにしていた。

親が家族で遊べるものを買っていたのだろう。
「人生ゲーム」の年もあった。
他は…覚えていない。


さて、初めてのテレビゲーム。
そんな昔のテレビゲームはどんなだったか。

私の記憶では、結構大きくて…横幅30〜40センチぐらい?
自分が小さかったことを思うと、もっと小さかった可能性もある。

色はベージュっぽかったような。
くるくる回す円形のつまみとボタンがあった?

ゲームの種類は、サッカー、テニス、バスケットボール…だったかな?
…バスケはなかったかも?

画面には、四角いボールと、それを移動させる棒。

つまみを回して棒を動かしてボールを打ったり運んだりする。

基本的には2人で遊び、1人で遊ぶこともできたような。


あれはどこのメーカーのものだったのだろう、と思い、調べてみた。

「1970年代テレビゲーム」で検索。

あっ、これ!

「システム10」というらしい。
エポック社。

こんなにカラフルな画面だったのか。

鮮やかなフルカラー画面と全方向に動くラケットが、まず人目を惹く。

電ファミニコゲーマー 記事 より

そうそう、2つのつまみ(コントローラーか)の、1つは上下、もう1つは左右に動かせるから、サッカーゲームのときに、全方向に自在に動かしてボールを運ぶのが面白かった。

テニスゲームの時に、ラケットである棒の上端で打つとすごく速いストレートの球になるのだが、相手も上端で受けて、双方動かさずにいると、そのまま永遠に打ち合い続ける。
それが面白くて、姉とよくやっていた覚えがある。

システム10のボールゲームは、ラケットの上端にボールを当てると速球が、下段に当てるとジグザグ魔球が打てるのが最大の特徴で、

電ファミニコゲーマー 記事 より

あ、書いてある。

えっ、「下段に当てるとジグザグ魔球が打てる」?

それは…あまり覚えてないなぁ。
やってたのかなぁ。
やってたかもしれない…
年齢、一桁だったし、あまりにも遠い記憶で…
(記憶を辿る…)
…やってたような気がしてきた。

ストレートもジグザグも、遊んでいるときにたまたまそうなって、「こうするとこうなる」を覚えてやっていたと思う。


記事内の写真にある、この光線銃もあった気がする。
この画面、覚えてる…。
記憶が甦ってきた。

脳が、今、すごーく古い記憶を引き出してる。

これは、あんまりやらなかったかな。
ちびっ子で上手くやれなかったとか?
黒い画面に白い四角が動いているのが、ちびっ子的に心を惹かれなかった?


このページの下の方にあるオレンジ色のゲーム機、友達の家にあったなぁ。


こういうサイトがあるのはありがたい。
幼少期の楽しかった記憶を確かめることができる。

ああ、ありがとう、ありがとう。


2台目のテレビゲーム

それから数年後、親が2台目のテレビゲームを購入。
名目は…覚えていないが、おそらくこれもクリスマスプレゼントだろう。
ブロック崩しや、バスケットボールなどがあって、オレンジ色の本体で…。
記憶を元に検索してみて、あ、これだ、というものが見つかった。

また「電ファミニコゲーマー」さんのページにお世話になる。

このページをずーっと下へスクロールしたところにある、「テレビブロック」。
そういう名前だったのね。
これもエポック社だ。
オレンジじゃなくて、赤だった。
うん、これこれ。

私の記憶では、1981年とか1982年頃に遊んでいたと思うのだが、1979年発売と書いてある。
あ、発売後すぐに買ったわけではない、ということか。

母がブロック崩しが上手かったのを覚えている。
私はバスケットボールゲーム(このページの写真「テレビブロック」本体にある「バスケットゲーム-2)で高得点を取ったときに、父がテレビ画面と共に私の写真を撮ったことを覚えている。
平和。



ファミコン時代〜

ファミコンは、ある日突然、父が買ってきた。
私の誕生日が近かったので、それに託けて買ってきたが、私は特に欲しかったわけでもなかったので、家のもの、という認識だったし、実際そうだった。
別に買うのに名目はなくてもいいと思う。

「カイタイカラ カウ」デ イイジャナイカ。


ファミコンでは、母が上海というゲームをよくやっていた。
いつのまにか買ってあった、テトリスも上手かった。

親がゲーム好きなのか。
買ったのは母のためか。

そういえば、母は、父からパソコンにトランプゲームが入っていることを教えられ、はまっていたことがある。

今、高齢者になった母は、スマホでツムツムをやっている。
なかなかやめられなくて困ると言いながら、楽しそうだ。


ファミコンは、家族みんなで一緒に楽しんだ、という記憶はない。
当初私は、ゲームが好きな友達が遊びにきたときに、一緒にスーパーマリオブラザーズをやるぐらいだった。

その友達が、 
「これ、面白いからやってみて。」
と、貸してくれて初めて知ったドラゴンクエストⅡ。
洞窟で苦戦したり、セーブのときの、ひらがながたくさん並んでいる「復活の呪文」を書き写すのを間違えて戻ったり(涙)と、なかなか進めずにいたら、他の友達が待っているというので、途中のまま返した。

その後、ドラクエⅢが発売されたときには、
「買い求める人が発売前から長蛇の列になっていて、手に入れるのが難しい。」
という内容のニュースをやっていた。

しかし、その数日後、学校の帰りに友達と買い物に行ったディスカウントストアで支払いをしようとしたとき、レジ横にドラクエⅢが積まれているのを発見。
あんなニュースを見ていたので、たいそう驚いた。
せっかくなので、
「これもください。」
と、ついでに買った。

東京など都会では入手するのが困難でも、都会でない地方ではレジ横に積まれている。

「猿岩石日記」のときも、そうだった。
本屋でレジ横に積まれていて、そのときも、「あ、ある!」と思い、ついでに買ってしまった。
面白かったなぁ。
読み終わった後、姉に貸したまま返ってこない。
どこへ行ってしまったのか。

…話が逸れてしまった。


ドラクエは楽しかった。
その後、姉が買ったものをいくつかやった。
どのドラクエかわからないが、大学生だった姉が帰省している1週間でクリアして帰っていったのを、覚えている。


その後しばらく、ゲームはやっていなかったが、結婚してから…深夜残業続きで身体を壊して仕事をやめて休養し、少し良くなってきた頃に…夫が持っていたプレステで夫が持っていたドラクエⅦとⅧをやった。
ドラクエはやっぱり、平面のドット絵のが好きだな。
またやりたい。


こんな感じで、振り返ってみると、結構ゲーム好きだよね、と、自分のことがわかった。気づいた。
母や姉の方がもっと…、ということもわかった。
父は買うのが好きなのか。
…買ってきたものを家族が楽しんでいるのを見るのが好きなのか?


ゲーム好き家族。

楽しい時間をありがとう。
(作った方々、買ってくれた父。)



システム10とテレビブロック、とってあるのだろうか。
まだ実家にあるならやってみたいが…。

今のテレビに繋ぐことはできるのか?





この音は!

先日、息子が電子メトロノームを2台同時に違うテンポで鳴らして遊んでいた。
この音は…。

システム10とテレビブロックの音!
こんな音だった!
(たぶん。)

録音し、編集して高速ストレート打ち合いのときの音を再現してみた。
たぶん、こんな感じ。↓



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