『The Greatest Showman』の時代を先行したメッセージについて

自分は与えられたメッセージを後から遅れて理解することが多い。
この記事では自分がようやく重要であると気が付いた『The Greatest Showman』で描かれた時代を先取りした数々のメッセージについて言及したい。
新海誠監督の映画や小島秀雄監督のゲームのリリースのタイミングやその的確な内容にはいつも
宇宙の趨勢を大きなスケールで眺めているような心地がして戦々恐々とする。
『The Greatest Showman』においては、本監督が持っている思想が大きく反映されたもののようには
あまり感じられなかったが、真に裏でメッセージを受け取っている人間がいるのではないかとは
感じている。

日本の精神情勢的にももうそろそろメッセージを受け取らなければならない期間、食材で言えば旬の時期を迎えるころであろうと思われる。

メッセージの根幹に触れる前にまず『The Greatest Showman』が自分にとってどういった映画だったのかに触れたい。
簡単なあらすじはサーカスのオーナーとして大成するまでの物語を主人公の成長譚として描かれている。
夢を叶えるという基軸は作品全体を通して保たれている中、意外だったのは主人公が妻帯者だったことだ。
こういうのは夢を叶える直前かその過程で伴侶となる相手と出会い恋に落ちる物語になるのが常套だと思っていたのだが
後で言及する歌姫との葛藤も描かれた。それが新鮮だった。
主人公はすでに人生の半ばに差し掛かっている中年男性である。
若い時の野心は萎えを見せているはずの年で夢を追いかける姿は現実の一般人と比べて乖離を起こしてしまうと考えなかったのだろうかと疑問である。
しかしその乖離を埋め、見る人の勇気と情熱を呼び覚ますほどの魅力的なストーリーは素晴らしかった。
なにより日本で夢を追う、と聞けば情熱と切っては離せない。しかしこの映画の底流を漂う圧倒的なロマンチズムが夢を追う泥臭さを消し去り甘美に仕上げていると思う。

娯楽映画としては何度見ても飽きないストーリーにミュージカルに興味のない人間すら引きこむ映像手腕に脱帽する一方で
退屈な映画にありがちな意味がなく冗長なシーンのなさに驚愕する。
これが2017年に放映されているということが、どれほどのことなのか、映画を撮ったことのない自分が察するにあまりある。

さて肝要なメッセージであるが、順番が前後することをご了承いただきたい。

開幕、特徴的な掛け声からささやくようなヒュージャックマンの歌声が響く。
全体像が明らかになるまで時間を要するような緩やかな映像美を今でも覚えている。

この曲だけで一記事が成立してしまうくらい特筆したい部分があって非常に困っているのだが、文体で伝わりやすいものを
選別し簡単に説明しよう。

『Dont fight it,its coming for you,running at ya』

「戦うな(身構えるな)あなたのためにいま向かってきているんだ」

この曲はおそらく製作者がもっとも伝えたいことを詰め込んだ曲であると思う。
主人公からすれば夢が叶った栄光の時の中からのメッセージである。
ミソなのは、「Dont fight」から始まるこの一文は、栄光の時の外にいる人間に向けてのメッセージとして機能していることだ。
苦衷の中から抜け出し、栄光を手に入れたその時も、苦衷の時を忘れていない。栄光の光に飲み込まれてはいない人間のセリフである。
世界中でヒットしている洋楽でも、自分がいかに成功したかとかどれほどのものを手にしたとか、
努力しない人が非難してくるけど気にしないぜとか、平たく言って幼稚な歌詞が綴られる。
しかしこのAメロは誰かを栄光へと導くように歌われている。これが美点である。

そして戦うな、身構えるな、という物言いには、夢を叶えるために我武者羅ではいけないという示唆を含んでいる。
なぜなら我々が迎えに行くのではなく、”向こう”からやってくるのだから。

超次元的な宇宙の上では、AとBという物体の間隔が狭まっているとき、AがBへ向かっているのか、BがAへ向かって
動いているのかはわからない。
動いていないと仮定される物体Cとの間隔を以って、AとBの動きの本質は確定する。

自分の部屋の中空に、ボールが白と黒の二つが浮かんでいるとしよう。
白と黒のボールの中間には当然空間があり、その感覚が狭まっている。その場合、どちらがどちらへ
動いているかを理解することができる。部屋と白のボールが動いていないなら、動いているのは
黒のボールなのだ。しかし空中に固定された白のボールと自分が面している地面以外の壁と天井が
スライドするように移動していたら?
我々は正しく物事の動きとその方向を観測できるだろうか?
動いていない、と確定している”ほかの何か”が、動きを持つ対象物の本質を教えてくれる。

つまり夢と自分との間に自分が作り上げた幻想が存在しないとき、我々が夢に向かって歩いているのか、夢が私たちを
迎えに来ているのかはわからないのだ。(わかる、というのは我々が能動的にそのように確定しているという意味になる)
そして正確に表現すれば、それは夢を叶えると決めた自分が決められることである。
道程に努力や頑張りを求めたとき、夢の座標は固定され我々が夢を迎えに行く。
これが今まで世界で、(特に日本で昭和時期に求められた行動バイアスあるいはチャンスを掴めと
煽る米国内でのアメリカンドリーム)求められた特定の手法である。
しかし、劇中では、”向こう”がこちらへ向かっているという超常的な示唆が含まれている。
当然、主人公は夢を叶えるため奔走するわけだが、主人公は熱に浮かされるほど夢を見ている。
その行為を以って、夢を彼は自分へと近づけているのだ。
目を閉じて、夢の光景が明瞭に思い浮かぶほどの状態だからこそ。

これは夢を持つことを恐れ現実に服従しがちな昨今の若者にとっての福音である。
現実に服従することと、頭の中で鮮明に浮かぶ夢に服従することは、ピントを何処に合わせるかというだけの差異が
あるだけなのだと教えている。
何も諦めなくていいのだと、励ましてくれる。

『Its everthing you ever want』
ほしいものはすべてここにある
『Its everthing you ever need』
必要なものはすべてある
『And its here right in front of you.This is where you wanna be』
目の前にあるこの場所こそ、あなたがいるべき場所

夢の栄光を見せる中、自分はずっと思うことがあった。
それはこの歌詞のおかげでもうすでに、夢の感覚で生きているということだ。
ほしいものはすでに持っているのだ、必要な分はすでに持っているのだ。
もうすでに満足で、もうすでに成長する必要がないほどに完璧で美しい存在なのだ。
まるで後から叶う夢の中に自分がもうすでにいるかのような、そんな心地を仮想体験させてくれる。
ミリオンドリームを見る主人公を通して、自分の夢が呼び覚まされているのだ。

構造として美しいのが、満足感と共に実直に夢を見てきた主人公が、世界的歌姫にワールドツアーを打診する際、妻帯者にも関わらず歌姫側が関係を迫った。
これを主人公は断っている。
そしてそのあと、一度だけ歌姫は歌い、ワールドツアーを辞退した。
そこで登場する曲名は、『Never Enough』。
決して、足りない。というなんとも直接的な曲である。
自分はあなたがいなければ私に何があっても足りないという何とも実直でラブソングとしてとても好きなのだが、劇中では非常にシニカルに機能しておりその構造に気が付いた時、戦慄することになった。

その歌姫は、主人公からすれば夢を叶えたような裕福な生活をしていたのだが、千のスポットライトでも夜空から取ったすべての星でも決して、足りない、と歌う。
だから一緒に夢を見てほしい、と歌う。

失恋という背景があるとはいえ、慢性的な不足感と渇望感を抱えているといえる。
もし甘言に乗り主人公が歌姫と不倫の条件に乗りツアーを決行していたのなら、もしかしたら主人公は何もかもを
失っていたのではないかと思う。例えば歌姫が計画と違う傲慢さを見せたとかで。

なぜなら歌姫の夢は、主人公の夢ではなく、歌姫は主人公のように”上手に夢を見ていなかった”。
ここの差が非常に大きい。
歌姫は主人公を、自分の満足のキーファクターとして扱っている。一方、主人公は純粋に夢を見ている。
辿り着く先が、迎えに来る夢が、違ってくるのは当然のようである。
夢が違うのならば、離れるしかないのだ。同じ場所に異なるものを重ねることができない。
もっといえば、歌姫の夢に対するスタンスは”あなたがいないと私は満足できない”という
依存のスタンスである。依存は視野の狭さを世界に表現することであり視野が狭い以上、自由な夢を
描くのに事欠く。


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