きょうだい児と暴力
こんにちは。
「ADHDでも生きやすくなりたい!!」
と申します。
私は現在慶應大学を留年中のADHD当事者です。普段はADHD寛解を目標として、その方法と実践を投稿しています。よろしくおねがいします。
今回は、きょうだい児について、思うことを書きたいと思います。
私の家族構成
私の家庭は父、母、兄、私の4人家族です。
兄は私より6歳上で、軽度知的障害を患っており、現在は障害者用作業所で働いています。
きょうだい児について語る前に、私の幼少期から今まで、私と兄の関係について振り返ってみます。
~6歳まで
これくらいまでの期間は、基本的に兄とは良好な関係を築けていました。少なくとも周囲からは一般的な兄弟のように見えたと思います。
普通に喧嘩して普通に仲直りして、普通に遊んだりしていました。
しかし、私が小学校に入学するのとほぼ同時期に関係は一変します。
7歳~16歳
私が幼稚園から小学校に上がるころ、当時兄は12歳でした。ちょうど思春期や反抗期が始まる年齢です。思えばその影響が強く出たのでしょう。
兄は急激に他者や物への暴力性を見せ始めました。
学校の窓ガラスを割る、万引きを繰り返す、他人への暴言や暴行など一般的な反抗期の程度を大きく超えるものです。
当然ながら幼く自分より力の弱い私に対しては特に激しさを見せました。両親は共働きでしたので、学校から帰ってから母が帰ってくるまでは兄の暴力に耐える日々でした。
興奮した兄が自室の扉を蹴る音、サンドバッグだと言って何度も殴られた痛み、床に散乱した食事をはいつくばって食べさせられた屈辱など、今でも記憶に残っています。
このような暴力が両親に露見したのち、兄は精神病院に隔離され、行動が落ち着いては家に戻るを何度か繰り返しました。
私や母に対する暴力が収まったのは、私が17歳ぐらい、身体が十分に成長し、兄の暴力にも抵抗できるようになった頃でした。
17歳~現在
私が高校に入学したころ、兄にはほぼ暴力性は見られませんでした。
少なくとも他者や物に対して当たるということはしなくなりました。
代わりに、母への嫌がらせ行為が顕著になりました。現在までその行為はやむことなく続いています。
今は、私は兄とはなるべく関わりを持たないようにし、同じ家で生活するものの、言葉を交わすのは一か月に一度程度です。
以上、書き足りないところもありますが、兄と私の関係性に焦点を当てるとこのようになります。
無力なきょうだい児
去年の秋ごろ、私は「きょうだい児」という言葉を初めて知りました。
私のような人間も多くいるんだと知り、多少共感や安心感を覚えたのは事実です。
しかしながら、最も強く感じたのは、「無力感」でした。
一般にきょうだい児は複雑な心理的、肉体的困難を抱えるとされます。
それは愛着障害やうつ病、不安障害などの心の問題や、就職、結婚、後見人の問題などに現れます。
果たしてこれらの課題のうち、どれが行政や他者の助けによって解決可能でしょうか。
あくまでも障害者ではなく、健常者として扱われるきょうだい児に有効な支援の手を差し伸べるのはほぼ不可能だと思います。
きょうだい児と自己責任
人は様々なステータスをもって生まれます。生まれつきの能力や容姿、人種など、その多くは変更困難か変更不可能なものばかりです。
つまり、きょうだい児とは
「障害者の兄弟を持っているという変更不可能なステータス」を負っている人のことだと考えます。
この現実を自覚し、自分はどうしたいかをそれぞれが選ぶしかないのです。
私は大学を卒業後、「自己責任」に基づいて兄と両親と絶縁するつもりです。
法的には親族との絶縁は不可能ですが、事実上の絶縁は可能とされています。
現行の制度では有効な支援を期待できない以上、自分で自分の人生を、強い意志で決める必要があります。
私は「きょうだい児だから」に縛られず、自分の人生を歩むべきだと考えています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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