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ジークフリート伝説を読んで

私は学校が休みで家でジークフリート伝説を読みました。私が読んだのは北欧版なのでジークフリートではなくシグルズの方が良いかもしれません。古ノルド語ではの発音ではシグルズの方が近いらしい。ジークフリート(シグルズ)は竜殺しで有名?かもしれません。いずれにせよ、ゲルマンものが大好きな私からすれば大興奮するものです。
ここからは内容を知っている前提で話します。

この物語は復讐と殺戮が繰り広げられる「恐ろしく血なまぐさい話」とも言えるでしょう。「もしも、あの時竜の言葉に従って黄金を手にしていなかったらヴォルスングの血脈もギューキの血脈が断たれることもなかっただろう」と後悔させられる部分もあります。富や権力への欲がもたらす悲劇、虚しさをこの物語は語っているようにも思えます。結局、彼らは自分たちの名誉を守った、英雄的に生きたことで終わってしまいました。歴史を動かすことはできなかったのです。しかし彼らはこうして伝説で語り継がれ、誰かの心に響いているのです。
もし、この物語がもっと平和的だったら、復讐することをせず、キリスト教徒が説くような道徳を述べ、剣を捨て、みんなで仲良く平和的に…。という物語だったら皮肉にも別の意味で感動的だったかもしれない。臆病で、奴隷的で、意志力も正義感もない、ただ漠然と快楽だけを望むような無数の大衆に受ける物語になっていたかもしれないですよね。そのような連中を感動させても何も役に立たないことはわかるでしょう。しかし彼らはひたすら自分の意志にまっすぐな人々なのです。自分の意志のためならどんな犠牲も厭わない人たちなのです。だから、真に正義を望む価値ある人を感動させることができるのです。ヒトラーのような。けれども、やはり彼らは愚かとも言えます。彼らは英雄的に死ぬことしか出来なかったのだから。私はゲルマン魂をただの精神論に終わらせてはならないと思うのです。このような精神論は正義にも偽善にもなりゆるからです。彼らのように死を恐れず戦いに向かうのが素晴らしいと思っているだけでは騙されてしまいます。大日本帝国もこれと同類の精神論を利用して国民を無駄なユダヤ人のための戦場に放り込みました。逆に、戦争の理由や意義を正しく理解していたナチス・ドイツはゲルマン魂の遺産を正しく生かすことができたと言えるでしょう。彼らは侵略者である邪悪なユダヤ人とゲルマン魂を持って確固たる姿勢で戦いました。だからこの遺産を賢明に生かすことができるかどうかは私たちの知性にかかっているのです。










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