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短編小説 ヒーロー覚醒

 ヒーローに大切なのは、心だ。
 僕はズボンの右ポケットの中で、バッタのキーホルダーを握りしめた。

 “変~身っ!”

 ポケットの中でバッタの眼が光り、小さな物質に凝縮されていたエネルギーが、僕の身体に流入していった。
 変身には、具体的なヒーローの姿をイメージすることも必要だ。
 全身をアーマーが覆い、肉体のあらゆる筋繊維はより強靭に、そして柔軟になる。
 最後に昆虫の頭部を模したマスクが装着され、変身完了だ。
 変身にかかる時間は約三秒。
 客観的に見たら僕の姿に変化はない。しかし僕は僕の中で、正義のヒーローに変身を遂げていた。

「おい、お前ら何やってんだ?」
 僕は三人組の不良生徒に声をかけた。
 不良生徒たちは真面目そうな、おそらく下級生であろう男子生徒を囲んでいる。

「あぁ? お前、何組の奴だっけ? なんでもねぇよ。ちょっと遊んでるだけだ」
「あ~、後輩の君、そうなのか?」
 下級生の男子は答えずに俯いている。
「そうだろ? なっ?」
 三人組の一人が脅した。後輩は体を震わせている。
「遊んでるようには見えないな。年下を三人がかりでイジメるなんてダセーな。みっともねー真似してんじゃねーよ」
「ハァ? 何だお前、俺らに喧嘩売ってんのか?」
「喧嘩を売るつもりはないけどな。みっともない真似が目障りだから止めろと言っている」
 僕がそう言うと三人は後輩を解放して、目配せをし合った後に僕に近づいてきた。標的を僕に変更したらしい。
 無言のまま、一人が僕に殴りかかってきた。
 予備動作が大きくて軌道が見え見えのパンチだ。ヒーローとなった僕は難なくそれを躱して、胴体に膝蹴りをお見舞いする。一人目が片付いた。
 続いて二人目が殴りかかってきた。一人目とほとんど同じ挙動だった。攻撃に変化をつけないあたり、まったくの素人だ。せっかく複数いるのだから時間差で攻撃するより同時の方が効果的なのに。喧嘩馴れしていない坊っちゃんヤンキーか。
 二人目の攻撃も難なく躱して膝蹴りをお見舞いした。一人目のリピートだった。
 三人目は攻撃をためらっている。連続で返り討ちを目の当たりにしたから無理もない。このまま逃げるのかと思ったが、一人だけ逃げると仲間の関係性にヒビが入るとでも考えたか、三人目も殴りかかってきた。
 三人目は助走をつけてきてのパンチだった。体重と慣性によりパンチに勢いが乗っている。破壊力は向上するが、動作がより分かりやすくなる。三人目のパンチも躱してボディブローで片付けた。カウンターが乗って強力になった分、前の二人より痛がっていた。

「あの~……あっ、ありがとうございました!」
「ああ、別にいいよ。ところで君、なんで絡まれてたの?」
「さっき正門あたりで人が混み合ってて、ちょっとよろめいてしまったらあの人たちにぶつかってしまったんです。僕の不注意といえば不注意なんですけど……。助かりました」
 下級生イビりか。今日は三年で進路希望を提出する日だったし、おおかた進路の悩みでストレスが溜まっていたのだろう。
「あぁ、それはアイツらが悪いな。まぁ気をつけて帰れよ」
 そう言って僕は現場をあとにした。

 初めてそのヒーローを観たのは、小学生の低学年の頃にテレビで放送していた30分の特撮ヒーロー番組だった。僕は、画面の中で世界征服を目論む悪の組織と戦っている正義のヒーローに魅了された。
 番組は正義が悪と戦うというシンプルな構図だった。特撮ヒーローに夢中になった僕は、悪の組織の戦闘員や怪人に立ち向かうヒーローに憧れた。思いが募るにつれ少年時代の僕は憧れだけにとどまらず、現実の中でヒーローになろうとしていた。
 ヒーローのモチーフになった、バッタのキーホルダーを親に買ってもらったのがヒーロー化のきっかけだった。憧れの存在はすぐに自分と同一化した。緑色のバッタ型のプラスチック製キーホルダーを握りしめ、心の中で “変身” と唱えると、僕は変身できるようになった。もちろん本当の特撮ヒーローのように、現実に姿が変わるわけではないのだが。

 変身の効果は絶大だ。
 喧嘩の時に変身すれば身体能力が強化されて負けないようになったし、体育の時には活躍できた。冷静沈着になり分析力と集中力が増すのでテストの時にも効果的だった。目の前の問題が解らなくても、慌てずに頭を使うことで、変身前より正答率が上がった。
 変身は僕の特技であり、切り札だった。

 変身前の自分は内気で弱気な男子高校生だ。しかし、変身すれば僕は強大な力をもったヒーローになる。今まで僕はこの力を活用して、目の届く範囲の悪を懲らしめてきた。たまにテストや体育など、自分のために力を使う時もあるけど、基本的には正義のためだ。僕はこれからもこの力を使って、弱い者を助け悪を倒していくことだろう。

 ガンッ!
    なんの前触れもなく、脳天に強烈な衝撃が走った。
 下級生を助けた翌日の放課後、帰宅前に自分の教室から最寄りのトイレに寄った時だった。僕は、不良たちから仕返しを受けた。三人組の不良たちの教室からこのトイレまでは距離がある。奴らは僕を待ち伏せしていた。
 トイレに入るなり死角から、おそらく金属バットで頭を打たれ、僕はその場に倒れた。人の頭をためらいなく叩けるなんて、あいつらの度胸を侮っていた。いや、あいつらは標的が死んでしまう可能性に気づけなかっただけで、度胸があってバットを振ったわけではないのかもしれない。
 僕はあいつらが怖くなった。
 ガンッ!
 二撃目を食らい、僕は気を失った。

 気を失ったのは人生で初めてだった。
 頭からだいぶ血が流れたようだ。耳の後ろに乾いた血がパリパリと張り付いている。床のタイルにも僕の頭から流れた血が赤黒く溜っていた。そして制服のズボンとパンツが脱がされていて、下半身が丸出しになっていた。
 トイレの洗面台に水が貯められていて、そこに僕のズボンとパンツが浸されてあった。
 僕は水浸しのズボンを取り出し、ポケットをまさぐった。
“……無い!”
 バッタのキーホルダーが無い。僕は下半身を丸出しにしたままトイレを探したが、どこにも落ちていない。ゴミ箱の中を確認すると、現金を抜かれた財布と一緒に、それはあった。
 おそらくこれがキーホルダーだ。リングは残っていたが、ライターか何かで炙られてしまったようで、溶岩のような黒い塊になっていた。どう見てもそれはもうバッタには見えない。
 僕は洗面台の栓を抜き、ズボンとパンツをよく絞った。全然乾いていないそれらを穿いて保健室に行き、頭に包帯を巻いて手当てしてもらった。保健室の先生には頭のケガは転んだと言って、ズボンのことは聞かれても答えなかった。先生はおそらく察していただろう。「また同じようなことがあったらここに来なさい」と言ってくれた。人に優しくされたことに安心して、僕は泣いた。
 僕の心は折れていた。もうヒーローに変身することはできないだろう。心の中が空っぽになってしまったみたいだった。

「おい、金は持ってきたのかよ」
 不良たちの一人に言われた。あの日以来、僕は奴らのパシリに身を落としていた。荷物持ちや、奴らが欲しい物の代理購入が主な業務だったが、お金も毎日のように要求されている。
「いえ、もうお金は無くて……。勘弁してください……」
「勘弁できねぇな。俺らは遊ぶのに金が要るんだよ。金が無いとお前で遊ぶしかなくなっちまうなぁ?」
「すみません、本当にすみません……」
 変身能力を失った僕はただの気弱な高校生に過ぎない。ヒーローであることが唯一の心の支えだったのに、今は弱い自分を晒け出してしまっている。
 少し前までヒーローとして毅然とした態度で悪に立ち向かっていたのに、今はどうして自分にそんなことが出来ていたのか分からなくなってしまっていた。
 もう僕に悪に立ち向かう力などない。僕もこの不良たちも同年代で、身体能力は同程度なのだ。一人と三人では戦力が三倍も違う。加えて、この不良たちは他人に対してバットをためらいなく振り下ろせる残忍性がある。僕は暴力にすっかり脅えてしまっていた。

「あれ? アイツあの時のヤツじゃねえ?」
 不良のうちの一人が、街中の本屋に入る下級生を見つけた。この間この三人に囲まれていたあの下級生の男子だった。見るからに真面目そうな男子だ。参考書でも買いに行くところだろうか。
「あいつ金もってっかな?」
 まずい。不良たちはあの子に目をつけたようだ。
「おい、お前あのガキ連れてこい」
 一人が僕に命令した。ちょっと前まで僕はヒーローで、正義の味方だったのに。
「そ、それだけは勘弁してください! あの子は年下で、上級生から脅されるなんて可哀相です」
「はぁ? 何言ってんだお前。お前が金もって来れねえのが悪りーんだろが。お前のせいなんだよ。勘弁できるかバカ野郎」
 一人が僕に凄んだ。
「オラ、とっとと連れてこいや」
 別の一人が蹴りを入れた。しかし僕は動けない。
「お前ちょっと来いや。教育が足りなかったわ」
 一人が僕の後ろ襟を掴んで路地裏へと引き摺っていく。もう、逃げられない。

 逆らった僕は、三人がかりで袋にされた。パシリになった僕に対する攻撃は主にボディブローやローキックだったが、今日は顔面も殴られている。僕は痛みで立っていられなくなり、地面にうずくまった。
「ダメだな、もっと根性見せてくれねぇと」
 不良は地面にうずくまる僕を執拗に踏みつける。
「やっぱお前だけじゃつまんねぇな。さっきのガキ、もう買い物終わったかな」
「やっぱあいつに小遣いもらっとくか。俺らも漫画買いてえしなぁ」
 ダメだ……。このままだとあの子まで狙われる。あの子は何も悪いことをしていない。
「す、すいません……、あの子だけは、見逃してくれませんか?」
 嘆願した僕の頭を、一人がサッカーボールのように蹴り上げた。
「うぁ、あ、うぅ……」
 僕は呻いた。

 どうしてこうなってしまったんだろう。
 少し前まで僕は間違いなくヒーローだった。
 ヒーローの僕は、冷静に周囲を分析できて、どんな状況だって打開できていたのに。
 あの能力は、ただの思い込みだったんだ。僕自身は何も変わっていない。
 普通の高校生が強気になっていただけで、実際には強くなってなんかいなかったんだ。
 バッタのキーホルダーはただのバッタのキーホルダーで、特別な力があったわけじゃない。現に僕はバットの一撃で頭から血を流して意識を失ってしまう、みんなと同じ生身の弱い人間だ。

「よし、あのガキもここでやっちまうか」
 僕はヒーローになりたくてヒーローになった。生身の普通の人間だけど、間違いなく僕はヒーローとして行動していたのだ。
 強いヒーローの正体は、弱気な僕だった。
 弱い僕だけど、僕の中には今もヒーローがいるはずだ。ヒーローは僕で、僕はヒーローなのだから。
 自分の中のヒーローの力を引き出すことができれば……。
 僕は力を振り絞り、なんとか立ち上がる。

 人の心には影がある。きっと誰の心でもそうだ。強い自我の内側には弱い影が、弱い自我の内側には強い影が存在している。
 影の存在は表層意識と真逆の性質なので、その存在を認めたくない、あるいは受け入れたくないと思う人が多い。しかし、自分の中の異質な存在を受け入れることで人の器は大きくなって、より高次の自我に成長できるものなのだと思う。荒々しく男性的な人には繊細で女性的な影。繊細な人には荒々しい影。人の成長にはきっと、自分の中の異質を認めて、受け入れることが必要なのだ。

「や、止めろ……」
 三人が立ち止まり、僕を振り返った。
 僕はヒーローだったんだ。僕の中にはヒーローがいる。
 自分の力を信じるんだ。
 呼吸を整えて、自分の内面の強い自分と向き合った。
 この変身が僕の最後の変身だ。変身したら、もう弱い自分に戻ることはないだろう。
 これからはずっと、自分の内面と融合して強い自分になって生きていく。
 僕は目を閉じて精神を統一して、心の中で叫んだ。
 “変身っ!”

「ヒーロー見参!」
 僕は叫んだ。




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