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実力も運のうち

「運も実力のうち」

運よく試合に勝った。

運よく結果が出た。

運よく上手くいった。

予想以上の結果が出たり、上手くいかないと予想されていたことが思いもよらない形で結果に結びつく。

このような状況に、人生を普通に生きていたら何度か訪れると思う。

特にスポーツの世界ではこれの連続である。

長年サッカーをしているのでサッカーで話を進めると、格上に勝利をするという、いわゆる「ジャイアントキリング」

ジャイアントキリングを起こすには、運に味方してもらうことはもしかしたら必須条件なのかもしれない。

1本のシュートがゴールキーパーの指先をかすめてゴールになる。

相手のシュートがたまたま自分の足先に当たって、シュートブロックに成功する。

試合のもっと細かい局面局面を取り上げると、さらに「運よく」という事象の集まりで構成されている。

一方、「運悪く」「運よく」と同じくらい多発する。

スポーツに取り組んでいる人はこの、「運よく」という事象を「運悪く」という事象が起こるより、たくさん起こすために毎日の練習に取り組み、準備をする。

つまり、「偶然」「必然」に近づけていくというところに、「運」の絡んだ攻防のすべてが詰まっているように思う。

これはスポーツの世界だけではない。

受験勉強や資格試験の勉強においても同様で、自分の得意な分野の問題が出れば合格点に達するが、そうでなければ合格は難しい。

この状況を、どんな分野の問題が出題されても合格点を取れるように普段の勉強に取り組む。

この状況における普段の勉強というのは、自分が解ける問題を増やすことで解ける問題が出題されるという「偶然」をできる限り「必然」にしていく作業となる。

(スポーツより勉強の方が、自分でコントロール可能な要素が多いから、普段の取り組みが結果に直結しやすい)

このようにスポーツの世界での勉強の世界でも、この「運」の絡む部分に対してできる限りの死力を尽くす。

だからこそ、「運も実力のうち」と言われるし、まさに「運も実力のうち」である。



普段まったくできないことが、本番でできた。

毎回外していたシュートを大事な試合だけ決めることができた。

模試では全然合格点に達していなかったのに、結果合格した。

「本番では、練習の時よりも集中力や覚悟の気持ちが違うから、練習でもできなかったことができるようになることがある」という現象が発生するらしい。

僕自身こういう経験を何度もしてきた。

このシーンでは、成功したことを周りは「実力」として認識する。

この現象も「運も実力のうち」に該当するのか。

「運も実力のうち」で挙げた例に比べて、確率で言えばはるかに低いから僕はこの現象を「運も実力のうち」と呼ぶのにはどこか違和感を感じる。

この現象こそ「実力も運のうち」の方が何となくしっくりくる気がする。

「運も実力のうち」をどう定義するのかによって感じることは人それぞれだけど、「実力も運のうち」という言葉に出会って、「成功確率0%に近いことを本番で成し遂げてしまう現象」を、「実力も運のうち」と命名することにした。

書いててよくわからなくなってきたので、「運も実力のうち」と「実力も運のうち」の皆さんの考えを教えてください。


では、また。

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