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気になる祟り系の場所 其の肆

⚪︎ 初鹿野諏訪神社 朴木(山梨県甲州市大和町初鹿野)

ここも有名だが外すことは出来ないだろう。御神木の朴木(ほうのき)が祟るとされているが、実際に諏訪神社の教育委員会の案内板には、祟りを公的に認めているとも解釈できるような、以下の文言が記されている。

本殿の裏にある神木の朴の木は、二千数百年を経たといわれており、幹は幾度か枯れては根本から発芽し、現在に至っている。この朴の木は、日本武尊がこの地に憩った折り、杖にしたものが発芽したものと伝承されている。
古来からこの神木を疎(おろそ)かにすると、不祥の事件が起きると信じられているので、神意に逆らわないようにしている。
平成元年三月 大和村教育委員会

御神木は山門の奥で、本社の彫刻は一見の価値あり。

「不祥の事件」というのは、具体的に以下のようなものが挙げられる。

・明治38年(1905年)
近くにある川久保集落は端午の節句で柏餅を作る際、柏が近くに生えていないこともあり、柏ではなく形の似ている朴木の葉を例年使っていた(防腐効果が有る)。普段は諏訪神社の朴木からは採っていなかったが(祟りの存在自体は周知されていた)この年は御神木の葉を使ってしまった。すると柏餅を食べた川久保集落の人々は次々と急病で亡くなり、わずかに残った家も直後の大水害に見舞われて流出したという。

・昭和28年(1953年)
この神社の裏を通る中央本線の架線に枝が触れるので、神職を呼び寄せて丁寧に慰霊祭を催した上で、6名の作業員が枝を払った。しかしその後、3名が列車に轢かれ事故死、1名がマスの養魚池にて溺死、1名が突然の病死という結果になった(残る1名は事故で大怪我をするも生還とのこと)。亡くなった方々の名前、正確な死亡時刻も記録に残っている。

・昭和43年(1968年)
線路拡張のため御神木を撤去する計画が持ち上がった直後の6月15日の未明、諏訪神社の斜向かいに位置する大和中学校(元々小規模だったこともあり昨年2022度をもって閉校)生徒を乗せた修学旅行のバスがトラックと正面衝突し、生徒・教員・運転手あわせ計6名が亡くなる。

このように祟りが公的に認められており、御神木が架線に当たらぬようJRは2億円くらいかけてアーケードを設けている。

境内に有る伐採済みの大杉は国鉄時代に汽車の煙と振動で枯れた。

全国各地に日本武尊が訪れた地とその遺構が数あれど、あまり日本武尊関連の祟りを聞かない中、何故この御神木だけがここまで祟るのかは正直よく分からない。正確に記録されている亡くなった人数の多さを考慮すれば、間違いなく日本トップクラスに強力な祟りだろう。(ちなみに祟りの代名詞とも言える平将門首塚はメジャー過ぎて記事を書く気にもならなかったが、首塚取り壊しに先立ち大蔵省官僚が何人も亡くなった点を考慮すれば、こちらの強力さも言うに及ばず。)

余談だが、公的に認められた祟りや怪異は他にも存在し、古墳を掘り起こして建てた明舞団地がある。由緒には「不思議な現象が続出し、多数の方が体得し、守護されてまいりました」と婉曲的に書かれているが、意訳すると「不思議な現象が続出し、沢山の人が団地のアパートから飛び降りて、あの世へ行きました」になる。

体得し、守護されてまいりました。。(遠い目)

どうでもいいが土地を掘り起こし文化財が出てきたら、保護の観点から必ず教育委員会に届け出なければならない。しかし場合によっては強制的に調査が行われるので、例えばアパートを建てようと購入したけど文化財出てきて工事がストップしてしまう、みたいなことになるのが嫌でオーナーが不動産屋と結託して無かったことにしちゃえ〜、的なことが有るらしい。

また雪中行軍遭難事件で有名な八甲田山では、麓にある駐屯地だかなんだかで、兵隊の軍靴と思しき「ザッザッザッ」という行進音が山から駐屯地に向けて降りて来たので「回れ右」と偉い人が叫び、再び山へ追い返したという話もある。この出来事は官報にも載ったとかなんとか。詳しくは新耳袋でお馴染み、中山さんの動画を視聴されたし。

ちなみに諏訪神社御神木近くにはよくカラスや鳩などの死骸が落ちてることがあるらしい(某ニコニコ配信者が夜に訪れた際、本当に何羽も落ちていて逆に自分は毒餌を疑ってしまった)が「弱いものから亡くなっていく」という稲川淳二氏の言葉を思い出す。確かに心霊スポットに行ったら病弱な親族やペットが急死するとか聞くので妙に腑に落ちる。祟りは依然として健在のようだ。

(追記)
先日、甲信越へ旅行に行った折に諏訪神社へ実際に足を運んでみたのだが、新たな発見が3つあった。

まず1つ目は、1枚目の写真の山門奥をよく見ると鉄骨が有ると思うが、訪れる前はこれが本殿保護の為のものかと思っていたが、そうではなく御神木の枝葉が本殿の屋根に触れないようにする為のものであると分かった。つまり線路側だけでなく反対側にもアーケードが設けられており、御神木を両側から挟み込む形で徹底的に枝葉を傷つけまいとする意志を感じた。類を見ないほど卓越した本殿の彫刻の出来栄えも相まって、本殿を鉄骨が囲む光景はとても異様だった。

2つ目は、御神木の朴木(信仰の対象はヤマトタケルと考えられる)、本殿に祀られる別の神々の他に、お地蔵様、山の神、丸石道祖神(山梨でのみ見られる丸い石を祀る独自の信仰)と実に多彩な神々が境内に祀られている点。そこまで広くない境内に神道、仏教の他にも2種類の神々が祀られている点に少し驚いた。

3つ目は、朴木の位置の不可解さである。御神木というのは境内であれば割と一目で判別できるような分かりやすい位置にあるイメージだった。ましてや諏訪神社は神社が出来る遥か前より朴木の御神木があった訳で(樹齢2000年以上)ある意味境内の中でも主役な訳である。しかしながら、境内に入って最初に目につくのは山の神の石碑の裏に生える立派な杉の木で、朴木は本殿を左から廻る形で、まるで隠されるように本殿の真裏に有るため、御神木にしめ縄が無ければ全く気付かないレベルだった。朴木と本殿の間隔も全然無いので、めちゃくちゃ狭いスペースに御神木が追いやられている印象を受けた。元々そこに御神木が生えてたのに、それを隠すように社殿を建てたから祟るのでは?という考察は非常に的を射ていると思った。これが原因かもしれない。神道以外にも様々な神々を一緒くたに祀り上げている点も関係が有るのだろうか?と推測してしまった。


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