【 何者でもない者の力 】

 知識人、有名人に比べると発言力が1%にも満たないそれは、空回りで無責任にきこえるかもしれないけれど 精一杯背伸びしても届かない経緯でやむ無く何者でもないのであったら それは現実致し方ないこどだし 受け入れて然るべきと思う。しかしだからといって恥じて口を紡ぐ必要はない。何者でもないのであったら 何者でもないなりの発言をする自由は残されてる。むしろ何者でもない者の方が庶民寄りで、親身になった思いが届けられるのではないか。何者でもない今にしか生まれない 挫折、苦しみ、葛藤、その他諸々の感情を現せるのではないだろうか。

 かく言うわたしは専門家でも何でもない。しかしだからといってただの負け犬でもない。ペシミストではあるが、そこで尻込みするのではなく果敢に前へ挑む、情熱的ペシミストとの自負がある。この燃えさかる炎が消えはしない。

 哲学にはアウフヘーベン(止揚)という言葉がある。わたしはこの言葉がガルゲンフモールと同じくらい好きで自分の生きる礎としている。何事にもネガティヴで否定してしまいがちな性格のわたしにとって 唯一救いを感じることができるマジックワードだ。

 否定してしまいがちになるのは とても辛いことだし苦しいことなのだけど 本人らはそれをやりたくてやっているのではない。けれどもどうしても性格と癖で、わかっちゃいるけどやめられないのだ。これを矯正しようと努力はしても、形状記憶合金のように 時が経つとほぼほぼ元通りになってしまうんだということは以前のコラムで述懐した通り

 ならば、である。否定を次に活かせばいいのである。

もし自分がやれずとも、他者にそれを委ねることもできる。ここにこうして書き込みをすることで 誰かの目に止まり、それを良い方向へ転換していただける可能性だってある。

 心配するあまり、良い風には表せなかったけれども 以前に書いた環境活動家のグレタトゥーンベリさんが こんなことを言っていた。

「私は楽観主義者なのか、悲観主義者なのかとよく聞かれますがそういうとき私は『現実主義者』だと答えています。希望によって行動が左右されるわけではありません。行動することで希望が生まれるのです。行動こそが希望なのです」

 この言葉には強く惹かれるものがあった。

わたしも何者でもないペシミストなりに 時間の許すかぎり前に踏み出したいと願っている。

そう 玉置浩二さんの「MR.LONELY」の詩のように..


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