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金にもならない創作(主に詩)について

 山田かまちに出会えて以来 詩はむかしから書いてます。

 荒削りな若さと馬鹿さの発露だったので 恥ずかしさのあまり なるべく外には出さないでいましたが 最近になって出してもいいかなくらいの まともな詩も増えてきました。

 けっしてプロの洗練された詩じゃないのですが それ相応の沁みる詩であるのではと思います。(因みに最後に振る謎の数字は詩が生まれた日です。プロの詩人k氏と邂逅し、模すようになりました)

 そもそもこんな金にもならない創作やってると「なんでそんな金にもならないこと必死にやってるの?」って 反復的によく質問されるんだけど

返答としては、〝病気みたいなもの〟という説明の仕方をよく用いる。

真面目な話、これは確かに言い得て妙で、事実これは取り憑かれた病であるからです。

 無趣味な人からすれば「素敵な趣味をお持ちですね〜」なんて揶揄もされるが、そんな生やさしいものじゃないことぐらい 憑かれてしまってる人間にはよく分かるはず。

 〝障害〟と言ってしまってもいい。障害お持ちの当事者からはお叱りいただきそうですが、もちろん軽はずみに言ってるのではなく、そう捉えることでむしろ障がい者さんを身近に感じることができるし、必要だと思うんです。〝依存症〟とも近しい関係かもしれない

やめられない とまらない わかっちゃいるけど やめられない

そんなカッパえびせん、植木等的、円環運動は 生きてる以上断ち切ることはできない。

 このまま金にもならなくては それこそコイツは女神でもなんでもなくて
悪魔みたいなヤツなのかもしれない。そんなタチの悪いのに捕まってしまっている。

 人は誰しもなんらかのカタチで抑圧されながら生きてるので 発散するなんらかのカタチがぜったい必要で それがたまたま自分の場合 創作(詩)であっただけのこと。

 取り上げられることは死に直結するのです。

 実際、自営の古本屋を畳み、一時期、生活維持のためだけに働いた時期がありました。

 慣れない仕事ながらなんとか正社員まで上り詰め(それが精一杯という脆弱さ!)満身創痍で働き詰めました。

 帰宅すればネトフリ見ながら居眠りして気を失い、後ろの壁に頭をぶつけて飛び起きるというのが日課でした。

 当然、創作は遠のきます。

 日に日に心がボロボロになり 鬱になる寸前まで干涸びてしまった。

 水が必要だったんですね。

 ほかのことでは代用できないんだってことが 身にしみてわかりました。

 今ではなんとか 栄養取り戻し 恢復に向かっておりますが もう懲り懲りです。

 四六時中物思いに耽ってしまい 周囲の家族群にはいつもご迷惑おかけしますが 見限ることなく付いてきてくれるんで ほんとう救われております。

 顔に出ないからまた怒られるけど。

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