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【大好きな父④】食道癌と向き合う

最後の家族旅行を終えたその日の夜から、父の様子がおかしくなった。

冷凍食品をそのまま食べようとしたり、コップに硬貨を沈めていたり。カーペットをタバコの不始末で焦がしたり。急に怒ったと思ったら、ニコニコして、意味不明なことを言い出したり。

「ミサイルが飛んでくる!」
「危ないぞ。逃げるぞ。」
「アメリカとロシアが…」

これはまずい。
すぐにかかりつけの病院を受診した。 

「脳に転移しています。」

と医師。


想像はしていたが、ショックだった。



2ヶ月程前、医師から言われていたのだ。
「治療を、諦めなければいけない時期に来ている。これからは緩和ケアがメインになるでしょう。」と。


現実を受け入れられない私は、なんとかして父を説得して、積極的な治療を受けてもらおうとしていた。そして、その度に衝突していた。

父は、誰よりも自分の病状を分かっていて、「自分の体ぞ。自分がよく分かっとる!」と治療を拒んだ。「これ以上、きつい思いをしても意味がない。(積極的な)治療は受けない。きついとぞ!」とも言っていた。


ただ、ただ、悲しかった。

父がいなくなったら、私は一人になる。
これから先どうやって生きていけばいいのか、不安で仕方なかったのだ。


そんな時、主治医の先生から、「ご本人の意思が一番です。望まない治療を続けても、辛いだけで結果も出ない。見守りましょう。全力を尽くしますので。」と言われた。


悲しくて悲しくて仕方なかった。 

まだお嫁に行っていない私。
父に花嫁姿を見せてあげられなかった。
父も私の行く末が心配だろう。
せめて「支えてくれるパートナーがいるから大丈夫だよ!」って安心させてあげたかった。
しかし、どれも叶わない。
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


平常心を取り戻した私は、「私の感情をぶつけてる場合ぢゃない!私がしっかりして、父を支えなきゃ。父の選択を誰よりも応援して見守ってあげなきゃ。」と気持ちを切り替えた。

「一緒に過ごせる時間に感謝して、限られた時間を思いっきり大切にしよう!」と心に誓った。


それから父は、脳に放射線を当てる治療をはじめた。あくまでも対処療法だが、父も自分がおかしくなるのは耐えられなかったようだ。




写真は父が放射線治療を受けて、はじめて髪の毛が抜けたときのである。(それまで髪の毛は抜けなかったのだ)

よく写真を撮っていた私に、「ほら、ツルツルになったぞ。記念に撮らんでいいとか?ニコニコ」と。流石に遠慮していた私だったが、じゃあ、パシャ!


最高の笑顔だった。


この日からわずか18日後には永遠の別れとなる。


プレゼントした還暦のポロシャツ
(出棺の時も家族が着せてくれた)


続く💙 


RICO


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