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ふと思い出した、南瓜とマヨネーズ。

『南瓜とマヨネーズ』

〈2017年「T-SITE」掲載コラム。サイト終了のためここで掲載します。〉

ああ、こういう感情を味わったことがあったな……。『南瓜とマヨネーズ』は、恋愛における苦い感情、切ない感情、そして愛しい感情、“過去の恋愛”の引き出しに仕舞っていたはずの感情を思い出させてくれる映画だった。しかも一瞬にして、自分自身にとって一番苦しかったであろう恋愛の感情を引き出す力を持っている。もちろん、それは魚喃キリコの原作漫画にある力でもあって──。

次から次へと漫画原作の映画が作られているなか、この『南瓜とマヨネーズ』もそのひとつであることは間違いないのだけれど、見た目的に俳優がキャラクターに寄り添っているだけでなく、漫画の世界とこの現実の世界が地続きになっているような、そんなリアリティがあるのは、この映画の特徴だ。原作の世界が、匂いが、しっかりと薫っている。

物語は原作漫画にほぼ忠実で、ミュージシャンを目指しているせいちゃん(太賀)の夢を叶えるために生活を支えるツチダ(臼田あさ美)、2人の同棲生活をベースに、せいちゃんと元彼のハギオの間で揺れ動く20代の女性の日常を描いていく。

ツチダを演じる臼田あさ美がハマり役だ。というのも、原作のツチダにそっくりな女優を探していた冨永監督が「彼女以外にツチダはありえない」とオファー。彼女も原作に惚れ込み快諾するものの諸事情によって撮影は延期、企画自体も危うくなったそうだが、「どうしてもこの原作を映画化することを諦めきれなかった」と臼田あさ美の熱い想いもあり、5年越しに実現した。

女性がこの作品にハマってしまうのは、好きな人のために一生懸命な自分を認めてほしい、そういう気持ちに共感するのもひとつだろう。映画のなかで描かれるやりとり──ツチダは、せいちゃんの夢のために頑張っている自分を認めてほしいけれど、せいちゃんの夢はせいちゃんのものであってツチダの夢じゃない。せいちゃんの夢が、せいちゃん自身が、ツチダの生き甲斐になってしまっていて、そして言われる「俺に便乗するな」的なセリフが何とも痛々しい。

今は女性がバリバリ働く時代ではあるけれど、「いつか白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるはず」「○○くんのお嫁さんになりたい」といった願望は心の奥底どこかにあって、だからツチダがせいちゃんの夢に便乗してしまう気持ちはよく分かる。きっと最初は、せいちゃんの作る曲を聴きたい、歌う姿を見たい、些細な願いだったのだろうけれど、いつの間にか純粋な応援の気持ちが「あなたのために」という押しつけがましさに変わっていってしまった。そういう痛さを描いているから女性は魚喃キリコの作品にハマる。

原作漫画を読んだのは20代前半の頃だ。面白いのは、当時この作品から感じとっていたものと、今この作品から感じとっているもの──その本質はおそらく変わっていないのだろうけれど、ほんの少し大人になった分、女性の視点のリアリティ、男性の視点のリアリティ、どちらも感じられるようになったことだ。

当時は、せいちゃんとハギオの間に揺れ動くツチダの気持ちに自分の恋愛を重ね合わせ、恋に悩む自分自身に酔っていたのだと思う。年齢を重ねた今は、せいちゃんが何故ああいう選択をしたのかもよく分かる。そして、揺れ動く気持ちに共感していたはずのツチダに対しては、共感というか、そうやって女は強くなっていくんだよね、頑張れ! ツチダ! とエールに変わり、この先ツチダに幸せになっていってほしいと願っている。

映画を観終わった後、しばらくの間、狂おしいほど恋愛にどっぷりだった頃の自分を思い出していた。苦しいことも、切ないことも、痛々しいことも、ぜんぶひっくるめて愛おしく感じた時間だった。(2017年「T-SITE」掲載コラム)

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