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チチ(父)の恋 四

数年前からかなり心臓に負担がかかってる状態でも交際相手に会いたくて、会いに行っていた90歳のチチだった。

体調が悪いのを家族に知られたら外出禁止になるからと隠していた。   と言っても、かなり体調が悪いことは私達家族は皆気がついていたけれど。  母の言葉にも耳を貸さず、里帰り中の孫娘や娘が「早く帰ってくれたら、会えるのにな」とメールの交換を入院前日まで続けていた。

緊急入院して医師の診断が終わり、面会が許されて3人で治療室に入って  姉と私が声をかけるとチチは弱々しくうなずいただけだった。
それなのに、母がチチの手を指でちょっと突いて声をかけると、     薄く目を開き母の声がする方に顔を動かし手を振ったのだ。
これには姉も私も驚いた。
これが長年慣れ親しんだ夫婦の関係というものなのか・・・
父の顔は母の存在を感じて安堵しているようだった。

そして2日後、ICUに移動したチチはかなり回復していた。
手を振る元気なチチを見て、私と姉は唖然としてしまったのだ。    「ここの食事は美味しいんだよ」「みんな親切にしてくれるんだ」と笑顔で話すチチを見ながら、私達は「まだ終わらないのか・・・いっそ逝ってくれたら私達や母の気持ちのストレスが終わったのに。体調が戻ったらまた連絡を取ろうとするに違いないのに・・・」と非道徳的で、ひどい娘だと十分わかっていながら思ってしまった。
ひどい娘だ、人として低俗だ。
不自由なく生活できる環境を作って育ててくれた父親をそんなふうに思ってしまったなんて。
そして「退院したらまた週1度は母を買い物いつれて行ってあげなくてはいけない」と退院するつもりでいたのだった。

でもそれは叶わなかった。その2日後にチチは逝ってしまったから。
最後に交際相手から次に会う日の催促のメールを見ることもできずに。

一番の心の拠り所は、娘ほどの歳の離れた援助交際の相手だったのだろうか・・・ 楽しい時間だったに違いない。家に戻れば椅子に座ったまましばらくは動けないほど疲れ果ても、それでも会いに行きたかったのだから。

チチが数年前からよく口にしていたフレーズがあった。
これがカラオケの歌詞の一部なのか、未だにわからないけれど
それは「ど〜すりゃ〜いいんだぁ〜」というフレーズだった。
これをよく口ずさんでいた。
私はこのフレーズを聞くたびに心の中で「何をどうしたいですか?自分でどうにかしてくださいね」と答えていた。

そんなチチは、自分の限界がきていることに薄々気がついていたようだった。でも止めたくてもどう止めたらいいのか、相手にどう話したらいいのか、もうわからなかったのだろう。
「会いたいな。一緒にいる時が一番安らぐんだもん」と90歳の老人に言ってくれる女性がいたのだから。だから「どうすりゃ〜いいんだぁ〜」とつい本音が何度も口に出てしまったのだろう。

ICUの病室から出る時、チチは私達に「お母さんのことをよろしくね」と言った。これは本心だったと思う。チチには母を想う気持ちはちゃんと存在していたんだ。その言葉を聞いた時、私と姉は初めて「これでチチの20年間のことはチャラにしてもいいのかもしれないね」と思った。

チチの恋はこうして、主人公であるチチの肉体がこの世からなくなって終わりを迎えた。
















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