職場などで、挨拶を無視されるというもやもやー「アイサツの変」に立ち向かうには?

あなたは、自分が挨拶をしたときに無視されたことがありますか?
そのとき、どんな気持ちでしたか?

・・・ま、いうまでもなく。
すごくいや~~な気持ちですよね?

これが世に言う「アイサツの変」です。
今まで何の滞りも感じていなかった人間関係に、自分の意思や認識とは関係なく、唐突に降りかかり、カンタンに逃れることができない、実にもやもやする事変。

この「アイサツの変」について、ステップごとに、私なりに発見したことをお話します。

1st ステップ:アイサツせんやつ大嫌い

基本的に、私は上記のようなことを思っています。
感情としては、挨拶しても挨拶されなかったら、とても嫌だし、何より悲しい。自然な感情だと思います。

そんなときのファーストステップこそ、

グループ魂の「アイサツはハイセツよりタイセツ」を脳内再生する

です。


阿部サダヲと一緒に歌いましょう。

アイサツせんやつ大嫌い、アイサツせんやつ大嫌い

ちょっとすっきりします。

でも、それって一時的な気晴らしで、相手から挨拶されないことが続いたりすると、やっぱりもやもやするっていうこともあると思います。
挨拶しない人、大嫌いでいいんです。
でも、それで自分がもやもやを抱えるのはもっと嫌です。

私たちは、「アイサツの変」に、どのように対処したらいいのでしょうか。

これは、ゆゆしき事態なのです。事変です。
事変であるならば、こうしましょう。
心の中で、本能寺の変に向かう「明智光秀」を召喚してください。
彼は、「敵は本能寺にあり!」といい、信長の寝首を搔くことを策略しました。
では、今、私たちがこの「アイサツの変」に立ち向かうときの合言葉は?

「敵はアイサツせんやつ!」

そう思うかもしれません。
(明智にならせておいて、身も蓋もないですが・・・すみません)

実は、敵である信長は、「アイサツせんやつ」そのものがいる場所にはいません。
私たちがいま解き明かす敵、つまり「信長」なのは、
アイサツせんやつへのもやもやの正体」です。

・・・
あ、兜と甲冑はそのままで、このあとも読んでもらえたらうれしいです。

2nd ステップ:「アイサツせんヤツ」へのもやもやの正体

ちょっと話が変わりますが、世の中の常識っていう言葉がありますね。「こうするのが普通だろ」とか「こうしないなんて、常識がない」みたいな話って、どこでもよく聞きます。

私は、長田英史さんという方の考え方が好きで、音声配信を聞いています。
配信テーマ「常識や社会通念にどう対抗するのか」の中で、「なるほどな~」と思ったことがあります。

常識について話している、その部分だけちょっと要約すると、

「それは常識じゃない」と怒る人がいるけれど、本当はそういう人は、「常識が常識じゃない」から怒っている。
もし全員がそれを常識だと思っていたら、それは当たり前のことなので、怒るということにはならない。怒るということは、それがその人にとっての常識ということであって、他の人にとっては常識ではない。そういう意味で、常識というのはとても多様なもの。

どうでしょうか。
私は、「常識だと怒る人は、実はそれが常識でないから怒っている」ということに、全く気づきませんでした。

冒頭の挨拶のことに戻りましょう。
「アイサツせんやつ大嫌い」なのはいいんですよ。私が思うことだし、その気持ちがあるということは否定できません。

「挨拶されなかったから、もやもやする」ということにも、この「常識だと怒る人はそれが常識でないから怒る理論」を照らすことができませんか?

挨拶されないことのもやもやの正体、それは、

私は、挨拶することを常識だと思っている。
だから、挨拶をしないのは私にとっての常識ではないので、それをしない人は常識がなく、もやもやする。まあぶっちゃけ内心怒っている。

ということだと思うんです。

「アイサツの変」において、あなたは、明智であり、信長でもあるということなのです。

3rd ステップ:アイサツって変?

では、ここで問いたいと思います。

挨拶は、絶対にしなくてはいけないのでしょうか?

ちょっと長くなるかもしれませんが、付き合ってもらえると嬉しいです。

極端な例ですが、コンビニに行くとします。
あなたは、コンビニの店員さんにレジで「こんにちは!」と挨拶しますか?
よく行くコンビニで、よくいる店員さんで、何かのきっかけでちょっと話をするようになったって場合なら、挨拶するのも自然ではありますね。
でも、たぶんですけど、ほとんどの場合は、「店員さんに絶対に挨拶するぞ!」って決めていることはないし、実際にはしないんじゃないでしょうか。
コンビニの店員さんに挨拶はしない。でも、私たちはちゃんと買いたいものを買うという目的は果たせています。

ということは、挨拶をしないことの善悪は別として、挨拶をしなくても、両者間の目的が果たせるなら、社会上の交換行為は成立するのです。

散々「アイサツの変」と息巻きつつ、実は「アイサツが常識ってヘン」と考えると、ちょっと見えるものが変わってくるんですね。

そして、たとえば、「職場の同僚が挨拶をしてくれなかったから、今日はちょっと嫌な気分だな」と、いま思っているとします。
なんか、今日一日、仕事のやりとりがしにくい感じで過ごすのかしら、とざわざわ、もやもやした気持ち。そこには突き詰めると、「今日一日、仕事をとりあえず成立させる」という目的があるわけです。

つまり、仕事のやりとりがしにくくて、仕事がうまくいかないってことは避けたい。挨拶されなかったというのは、言い換えると、「今日一日、仕事を成立させる」という目的が揺らいでいるという状態なわけです。

相手が挨拶しなかった。そのことに対してもやもやするというのは、実は挨拶は、私にとっての常識であって、それは相手にとっては、少なくともその時、常識ではなかったということです。

このことがわかったら、「挨拶しないことにもやもやしたり、怒ったりすることには、意味がない」という気持ちに、私はなりました。

自分がその日、やるべきことに全力で集中する。
必要なやりとりだけは、こちらは礼節をもってやればいい。

これは当たり前のことなのですが、このもやもやの正体がわかった時、本当の意味を再編集することができました。

アイサツの変において、明智としての私たちは、謀反を起こす必要がなかったということです。
兜と甲冑を下ろしましょう、お疲れ様でした。

相手のことを気にしたり、考えすぎたりするのは、本当には意味がありません。
正直、相手が挨拶しないことについては、「相手の判断」によるものなので、相手に対しても、こちらが心の境界線を引いてしまっても構わないと思っています。

4th ステップ:アイサツせんヤツへの打開策

そのことを前提に、「職場などで、相手が挨拶をずーっとしてくれなくて、その状態を解決する糸口もみつからないし、つらい」みたいなこともありますよね。

その場合、もし私が試すとしたら、挨拶を返してもらえなかったときには、勇気を出して、「今日、体調悪いです?」とは言うと思います。付け加えて、「何かあったら言ってくださいね~」くらいのことも言うかもしれません。
が、それ以上はこちらからは何も言わないし、しません。
「その日やるべきこと」に集中します。

「え?そんな単純なこと?」って思う人もいるかもしれませんが、
実際に職場などで挨拶を無視され続けるという状態にいる場合、こういうちょっとしたことを考えたり、言ったりするのは、人によっては、とても難しいことだと思います。
心理的な負荷を感じる人は、実はいるんではないかと思っています。

なので、「絶対にやってください」とは私も言いません。
自分でちょっと何かできないかな?と思う人がもしいたら、よかったら参考程度になれば。

また、そんな声掛けをしても相手の対応は変わらないかもしれません。
(身も蓋もないことばかり言いますけど・・・でも、お伝えしておきます)
けれども、相手のことを慮る言葉をかけられたということだけで、自分の気持ちは少し変わりませんか?
(でもくれぐれも、無理はしないでほしいので、番外編をご覧ください。)

番外編:それでも、もし今すっごくつらい場合

ぶっちゃけ、その相手のことは、放っておくしかないと思います。
私も、「体調悪い?」は声掛けするけど、そこから先は、自分の本日やるべきことに集中する。それが仕事ですものね。
相手が考えたり、やったりすることを変えられることってないと、私は思ってます。「挨拶してください」と直接相手に言っても、おそらく変わらないです。
もし相手とのやりとりがうまくいかないのが続いてて、自分の心が本当につらいなら、相手は変わらない前提で、自分が相手から離れる、距離をとる、ということだと思います。

とにかく、何が何でも、自分を守りましょう。

それで相手が逆上して、態度や行為が悪化するとかそういうことが怖いという場合があるかもしれません。
そういう気持ちや、いろーんな外部環境の要因もあって、相手から離れたり、距離をとることができずに苦しい場合は、友達でも家族でも、時には聞くのが専門の人でも、あなたが素直に話をできて、聞いてくれそうな人を選んで、そんな気持ちを話せる人を持っておいてほしいです。

人に素直に話すことで、自分とは異なる意見や考え方が聞けたり、自分の気持ちや考えが一歩先へ進むってこともあるかもしれません。

あと、いま、自分の周りで、挨拶を無視され続けていて、苦しそうな人がいる場合、その人にできるだけ声をかけてあげてほしいし、話をできるだけ聞いてあげてほしいです。
無視され続けるのって、本当に悲しいことで、気力も体力も奪われるので、最悪の場合、自分から助けてって言えなくなってしまうことがあります。
私は、1か月間、職場で無視されたことがありますが、それだけの期間でも十分に、人間らしさが自分の中から消えていきそうな感覚を覚えました。

そして、最後にひとつだけ。

アイサツより、ハイセツより、

タイセツなのは、自分だと、いつも忘れないで。

長くなってしまいましたが、必要な誰かに、届くことを願って・・・。





この記事が参加している募集

眠れない夜に

お読みいただきとても嬉しいです。いただいたサポートは、これから皆さんにもっと楽しんでいただけるコンテンツ作成のための源として、大切にいたします。なんのかんのとがんばります。ありがとうございます。