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#1 ままならない心身と初めての長期留学

地元のメディアさんから留学記の連載の声がかかっているのだが、その前にこの上なく個人的な、出発前に心身が壊れた話、そのまま留学は始まった話、そのせいで立ち上げが数倍大変だった話、
でもそのおかげで出会えた人、ことばがあった話。
この話を書かずして、留学の他のことを書けないと思った。

「自律神経失調症」と診断され、体調が悪いときに「治った話」が欲しくてネットの海を眺めていたが、ほとんど無意味なもので、「治らない」とか「そのまま悪化して鬱になる」とかそういうことばで溢れていた。
この記事がいつかの誰かを励ますことになれば嬉しい。

来年5月までカリフォルニア・バークレーにいます。

「壊れた」心身

6月末。動悸が止まらなくなった。
日常生活に支障をきたしていたのと(診断書があるとお金が出るかもとのことで)精神科に行った。10分ほど話を聞かれ、抗不安薬を2種類処方され、1週間後にまた来るように言われた。

理由は色々ある。数ヶ月働いていた小さな会社で「ハラスメント」らしきものを受けたこと。ベトナムを一人旅中に熱中症になり病院送りになったこと("Travel anxiety"という概念があるらしい)。そして10年間近く目標にしていたUCバークレーへの留学がついに出発目前であること。他にもあるが、これだけでも自分の心身が不安定になるには十分な理由だった。

こういうとき、ものすごく時間が長く感じる。
そして、心身に向き合えば向き合うほど「考えすぎ」になってしまって、悪い方向に滑り台していく感覚。

同時に私の「真面目」「完璧主義」な性格が不調に拍車をかけた。
壊れる前はもちろん、そのあとも「留学までに元通りにしないと」という強迫観念から、なんとかこの状況を打開できないかと、いろんなことを試していた。
「休む」ことはとても難しい。
「手を抜く」ことができないのだ。案外、こういう人は少なくないと思う。

自分への期待

8月半ばになっても、動悸やそれに伴う健康への不安が続いていた。熱中症のトラウマみたいなものから、暑すぎて外にはまともに出られなかった。薬の服用はもちろん、恩師とか、親友とか、心から信頼する大人に会って、自分の性格とか思考のクセとかを分析する日々。壮行会もいくつかしてもらった。途中で急に緊張してきて、頓服の不安薬を飲んだことも2回ほどあったが、その場にいた人は、この人この状態でいけるんだろうか、と思ったはずだ。

友人らが家に泊まりにきてくれてサプライズしてくれた。
2人には元気にやってるよ、ありがとう、と伝えたい。


出発は数日後に迫る。
父が「緊張することないちゃ。アメリカ西海岸の空気でも吸ってこよう、くらいでいいから」と言った。母も「A(成績)なんか取らなくていいし、ちょっと世界に友達つくってこればいいやん」と言った。
いや、緊張したくてしてるわけじゃないし。成績取るほうが、簡単じゃね?とか突っ込みたかったが、親の期待が(いい意味で)低く、これなら最悪帰ってきてもいいし、日本に残っても治る未来が見えなかったので、とりあえず行くか。
そもそも行きたくないわけがない。
母には「以前のポジティブさはどこにいった? 今のリコは違う、いやだ」というようなことを言われた。不器用な言い方だが、母なりに気にかけてくれていたのだろう。自分も今の自分は好きになれない。今の状態だからこそ、やっぱりバークレーに行こうと改めて決意した。

サンフランシスコ国際空港。

やっぱり、不調だわ

無事、サンフランシスコ国際空港に到着。飛行機は問題なかったが、空港の入国審査待ちが長蛇の列で、室内で空気も悪く、途中から気分が悪くなってきた。薬を飲み、耐える。
室内で人が密集しているところ、大きな音や光にめっぽう弱くなっていた。これまでそういう場所で不快感を覚えたことがなかったので、人は変わるんだなと思った。

無事審査を終えて外に出たとき、あまりの天気と空気の良さ、そして心地の良い気温に身体が喜んでいるのがわかった。
小学校6年生のとき、ある本を通じてバークレー校を知り、そのときから密かに憧れていた。「ついにきた」という驚きと安堵感で泣きそうになったが、このときはまだ不安の方が強かった。

ついに入寮

世界74ヶ国から約600人が暮らす国際寮に入った。通称I-House。心配性は準備をよくするので、新生活の立ち上げはほぼノートラブルだった。自分の心身を除いては。

長くなるので、簡単に記すが、到着後も眠れない(時差ボケが主)、息切れ、横になっていても脈が早い、めまい、熱っぽい、視野が狭い感じが続いた。
呼吸が苦しくなったときに寮のフロア長を呼ぶと、
「緊急事態だと思う? パニックアタック? それともoverwhelmed(圧倒)された感じ?」と聞かれる。自分でもよくわからないし、英語のニュアンスがわからないから、あんまり大袈裟にもしたくないし、矮小化してあとでまたパニックになってもよくない。
ただ2日間連続でパニックアタックらしきものになるのは正常ではないので、ルームメイトとそのほか以下に記す友人に助けてもらって、カウンセリングを予約したり、部屋の配置を変えたりした。
(こういうとき情報収集をしてくれたり、電話をしてくれたりするのは本当にありがたい)。

ぐちゃぐちゃだった。
ただでさえ不慣れな土地で、不慣れな言語を話し、単位を取らないといけないのに、こんなので授業にいけるのか? と思わざるを得なかった。

新しい友人と、彼女たちのことば

非常に幸運だったことがある。それは、こんな悲惨な状態でも、すぐに心を開ける友人に入寮初日に出会っていたことである。
寮には「日本人」も複数いるため、彼らを頼ることもできたが、たまたま初めに仲良くなったのが、カザフスタン出身・オランダからの交換留学生ザネッタ、シリコンバレー生まれのデイジー、そしてルームメイトのナタリーだった。
出会ってたった数日の彼女たちに、しかも英語で、自分の心身の状態を説明することは簡単ではなかったが、必死に耳を傾けてくれて、一緒にできることを考えてくれた。
彼女たちは多くの時間をどうにも不安そうな私と過ごしてくれた。

日本から持参した熱さまシートを面白がる友人・デイジー

また、自分自身も、自分の置かれてきた環境や遭遇した出来事を一度相対化し、シンプルに英語で話そうとすることで、客観的に「自分」を捉えることができた。

いくつか、彼女たちの忘れられないことばがある。
まずはナタリー。「パニック」のあと、メモ書きをくれた。

"You are such a badass for coming here and I believe in you. Do whatever makes you feel comfortable and don't be afraid to say no. Enjoy the journey of learning yourself and becoming stronger than ever before. (「ここに来たあなたはめっちゃかっこいいし、私はあなたを信じてる。自分が心地よいと感じることは何でもやって、ノーと言うことを恐れないで。自分自身について学び、これまで以上に強くなる旅を楽しんで」)"

これには泣いた。確かに、ここに来たのも私だ。最後の一文も痺れた。確かに、これは、journey(旅)のごく一部じゃないか。

友人づくり、授業の予習、休日の外出などやりたいことは山ほどある。
「いまリコがやるべきことは体を慣らすこと。それ以上、何もしなくていいんだよ」とも言われた。

ザネッタには、どうしてそんなに隣にいてくれるのかを聞いたら、さらっと
「自分も同じ経験をしたから、力になりたい(Because I've experienced the same. I want to help you even a little.)」と言っていた。

デイジーは、外を歩きながら泣いている私に「大丈夫、適応のプロセスだから(You're good, it's an adjustment process)」という。必要以上に心配せずに「その状態が正常だから」と強調してくれたことにとても救われた。

いつか書けたらいいが、周りの人のメンタルヘルスに対する意識の高さのみならず、大学のリソースやサービスはかなり充実していると感じた(無料でプロのカウンセリングにもいっていて、すごく助かっている)。

こんな歳になって、田舎の祖母に泣きながら電話した。体が思うようにならないこと、そのせいでやりたいことができないこと、でもルームメイトと、他の2人が気にかけて色々助けてくれること。
祖母は「まだ到着して数日なのに、それだけ力になってくれる素敵な友達をもてているのはリコの人間性。今まで頑張りすぎたから少しのんびりしなさい、ということだと思うわよ」と言った。そうか。けっこう私、うまくやってるのか、と思った。

ザネッタと食べたランチ

いまとこれから

現在は丸一日外で遊べるようになり、遅くまでパーティーにも行けるようになった。不安を感じることもほとんどなくなったし、薬も飲み忘れるようになった。

バークレーはシリコンバレーに近いからか、米国の大学全体の傾向か「実学」への志向が強く(私の専攻は社会学)、競争も激しく、馬力のある優秀な友達ばかりだ。彼らを見ていて、情けなくなることもあったが、正直いまは「健康に生活できればそれでいいかな」くらいの心持ちである。
「やるべきこと」を減らして、もっともっと深いところで「自分の残りの人生の時間で、やりたいことはなんだろうか」ということにとことん向き合う時間にしたい。なんでもこなせてしまうがゆえ、けっこうわからなくなっている。

実際には、かなりの勉強量をこなし、課外活動に参加し、休日は友達と思いっきり遊び、なんとか自分のキャリアパスを開こうと日々奮闘しているのだが(別の友達には「まだ焦っているやろ」と言われて、否定できなかった)笑。

ただ、同じ「やる」にしても、ハードルの設定を低くするどころか「あえて設定しない」ということをやってみている。自分のなかの高い「合格ライン」とか、数値的な目標や期待値を一切なくしている。ただまっすぐに、自分が今やっていることをたのしもうと心がけている。

ある日、重い足取りで教室に向かったら写真展が開かれていた。

”Enjoy what you do!”

この一言に尽きる。

これからの留学がどうなるかはわからないが、たぶんどうにかなるのではないかという気がしている。
よく「帰国子女」であると勘違いされるが、地方の公立学校出身だし、英語もなんとか話している状況である(が、案外そのことでは困っていない)。

不慣れな土地で困難に立ち向かうとき、必要なものはなんだろうか? いくつか挙げたとしても、英語力はあまり上位には来ないだろう。今の私は、
・どんな運命に見舞われても、決して投げやりにはならないこと
・自分に正直でいること
・手を差し伸べてくれる周りの人を大切にすること
と答えるかな。

まとめ

不調のなかで環境を変えることはある意味すごくリスキーだったが、うまくハマれば状況が良くなることもある。
また、「不調」と聞くと、マイナスなイメージしか沸かないが、そのような時間は、実際にはこれまで見ないようにしていた自分に向き合い、自身でさえ知らなかった「私」に出会うきっかけになる(とルームメイトが教えてくれた)。

だから何、と思うかもしれないが、以上がいつかの誰か(自身を含む)のための、3ヶ月の自律神経失調症との闘いと、留学1ヶ月半を終えた私からのメモ書きだ。

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