見出し画像

絶対的に自分の人生を肯定するには。

どんな時も、人生には、意味がある。
なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
この人生のどこかに、あなたを必要とする“何か”があり、あなたを必要とする“誰か”がいる。
そしてその“何か”や“誰か”は、あなたに発見されるのを“待って”いる。

ヴィクトール・フランクル(精神科医・心理学者)

  
絶対的な人生肯定哲学

気休めだ”としてしまえば、そのまま“気休め”で留まる。

私にとっては、フランクルのこの言葉は納得でしかないけど、他人にこれを伝える時、“気休めだ、と思われやしないか?”と躊躇することがある。

説得力を伴わなければ、表面的な“綺麗事”、“取って付けたような言葉”になりかねない。

まぁ、要するに、私は自分に説得力が無いとジャッジしてしまってるわけで。

相手がどう解釈しようと、それはその人の自由であり、その時のその人の状態にもよる。

すべてを自分の影響下に置くのも、傲慢といえば傲慢よね。
相手に解釈の自由を与えずに、自分の理想通りの反応を求めてるんだから。

理想通りの反応が得られない(もしくは、得られないかもと思い込む)のを、自分の“力不足”が原因だとする。
そして勝手に落ち込む(笑)
どんだけの影響力だと思ってるのか(笑笑)

伝わる人もいれば、伝わらない人もいる。
共感してくれる人もいれば、共感されない人もいる。

こちら側の力は関係ない。
相手に委ねたらいいだけのこと。
それもまた、相手を“信じる”ということ。

そして、自分の自己肯定感を上げるために他人の自由を奪わないこと。

この人生のどこかに、あなたを必要とする“何か”があり、あなたを必要とする“誰か”がいる。
そしてその“何か”や“誰か”は、あなたに発見されるのを“待って”いる。

あなたを必要とする“何か”や“誰か”。

すべての“もの”や“”、ではないのだ。
自分を必要とする“もの”や“”だけを発見しようとすればいい。

だから、フランクルのこの言葉を“気休めだ”と思ってしまう人も、それでマルなのだ。
気休めにしたいんだから。
気休めに留まりたくない人にだけ、伝えればいいこともある。

相手が何を選ぶかを、自分の中の正義に寄せて無意識にコントロールしようとするの、気をつけなきゃな〜。

私にとって“良いもの”は、相手にとっても同じく“良い”とは限らない。

それでも私は、自分が“良い”と感じたものはこれからもシェアしていきたい。
そういう性(さが)みたい。


ということで、最後にやっと冒頭のフランクル。

気休め”と感じていたことを、“気休め”じゃないと腑に落とせた先にある世界、見てみたくない?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?