具体的なそこの貴方へ

 エンデのモモみたくなりたくて、黙って話を聞いていると、「こんなはずじゃない」って皆が抱え込んでいる違和感がどこか不思議な輝きを放っているのが見える。さいころを振っても出る目は予期せぬものばかりで、望んだ道から大きくはずれ、それを見計らったかのように後悔と愚かさは静かに囁き、未熟であることの証明に、今日も罠を仕掛けてくる。そうして逆走していることにも気づかず、また逆走しているのかもわからず、どうでもいいことですら真剣に考える皆のその姿は、本当に悲しいくらい優しいと思った。ごめんねよく聞いてもないのに、そんな簡単なはずないよねと苦笑してみせながら個々人の心の内を聞いていくうちにやはり「孤独」「責任感」「義務」「不条理」「道徳」という言葉に行きつく。

 偶然その環境に立って苦しんでいる人々に対して、どのように考えるべきなのか。ともに担うべきなのか、担ったとしても他の人の自由を圧迫するとしたら。どう行動するか、誰が決定権を担うか、その選択で良かったのだろうかを考えすぎて、行動することに怯えてしまう。
サンデルによればカントは、他者を助けるという行為の動機と義務の動機の区別をし、義務の動機によってのみ行動は道徳的な価値が与えられると主張していたという。利他的な人間の思いやりは称賛と奨励に値するが、尊敬には値しないということだ。こうした迷いに対する答えが、私の(学問的ではないかもしれないが)知りたいことではないかと思う 。


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