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港と祖母と天草と

三年ぶりに地元で正月を過ごす。

昨年は帰省を控え、一昨年はスペインで年越しをした。
3年ぶりだと、正月ももはやフィールドワークである。

今年で86歳になるおばあさんは、昔のことをよく覚えている。
きょうは、おばあさんが小さかった頃、テングサをとっていたころのはなしを聞いた。

もう80年近く前のことだろう。おばあさんは小さな港町に生まれたので、海とも親しんで暮らしていた。

おばあさんの母、私の曽祖母はテングサとりの名手だったという。
テングサというのは、要は観点の原料となる海藻だ。あの寒天が階層からできていることは意外と知られていないが、それを取るのが当時はいい現金収入になっていたという。

子どもでもとることができるので、私のおばあさんもよく手伝ってお小遣いをもらっていたらしい。それを買い取るのがその集落に住んでいる人だった。

当時はみな、自分たちでテングサから寒天を作っていたそうで、寒天についてはうちのおばあさんはうるさい。

うちの地域はこれでもかとニッケ(シナモン、肉桂)を寒天に入れるので、やたらと辛い。しかし、ブリブリの寒天が口の中でほどけるときに鼻腔をつくシナモンの香りは心地よい。
正月に主に食べる、淡雪というお菓子もシナモン風味だ。淡雪というのはその名のとおり、卵白と寒天を混ぜて調味し、メレンゲ状にして固めたものだ。ふわふわで美味しい。

今でもたまに、おばあさんの友達が自分で寒天をつくって(さすがにテングサからではないだろうが)持ってくる。

売れば売るでお金になるし、自分たちで作るなら作るでおいしいものができあがる。彼女一人で、これまで何個の寒天を平らげたのかしれない。

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そんな話を聞きながら、おばあさんの家の自慢の50インチのテレビからとある大分県の漁師さんの仕事の様子が映されていた。11月ごろ撮影されたもので、その人はサザエ漁に繰り出していた。

31個のサザエを獲った漁師は、これでは商売にならん、とつぶやいた。それだけのサザエがあっても、売値は2400円。

別の漁師は、「海に潜るんだから、死ぬ真似をして仕事をしてこれ(だけの値段)だ」といった。

素潜り漁をしていると、突発的に耳が悪くなることがあり、この漁師も例に漏れず耳を悪くしていた。番組のキャストが、同情のような声を漏らす。

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漁師の収入もそうだが、あの美しい螺旋をつくる、物言わぬサザエの生命が31も集まっても、人間の生活の糧にならないと嘆かれる。
もちろん、食べると実に美味しそうだ。

テングサも、サザエも、それを育む海というのは偉大なものだ。どこまでも見えるのに、どこまでもその底が見えない。そこには大きな生命のうねりがあり、うちのばあちゃんたちも支えてきた。テングサの思い出を語るおばあさんは楽しそうだ。

経済という一面だけで切り取ってしまうと、本来の豊かさというものがみえなくなってしまう。

海の中にあったものが人為によって上陸させられるとき、何かが根本的に変わってしまう。

これから魚屋さん、スーパーなどでサザエなどの海産物をみるとき、その海の残り香がそこに至る経緯に、少しばかり思いを馳せてみることにしよう。

それは、自然なのか。私はいま一度、それを問うことにしよう。


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