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まずは楽しいから

左官業ってありますよね。

イメージとしては伝統ある職人の世界って感じです。まずは下働きでコテを持たせてすらもらえない。実際コテを持てるようになるまで五年はかかるそうです。

先輩から技術を教えてもらおうとしても、「見て覚えろ」と冷たくあしらわれるだけ。

左官業はこんな感じの昔ながらの職人集団という印象しかなかったんですが、このイメージを覆す左官会社があるんです。

それは、『原田左官工業所』です。この会社では新人の育成方法に革命を起こしました。

ここでは下働きをさせずに、いきなり新人にコテを持たせます。そして名人が壁を塗っている動画を手本にして、その動きを真似して技術を覚えさせるるんです。モデリングというやつですね。

このやり方だと数ヶ月で現場に出られるレベルになるそうです。

20年前は見習い期間の定着率は30%にも届かない状態だったそうですが、現在は80%から90%という驚異の定着率を誇っているそうです。

やっぱり普通に考えて左官業の魅力って、コテで壁を塗る楽しさじゃないですか。それができるまでに5年間下働きをこなせっていわれたら、よほど根性のある人間じゃないと続けられないですよ。

しかもやっとコテを持たせてもらえても、先輩は何も教えてくれないんですからね。

最近はこの原田左官工業所のような手法が、パン職人や寿司職人の世界でも導入されているそうです。超早期育成法ってやつです。

職人の世界もこうなってきているのかと新鮮な驚きを覚えました。

こうなった事情を簡単にいえば人手不足です。旧態依然とした職人の世界では、もう若い人はきてくれないんですよね。

「ほらコテ持ってみ。左官って楽しいでしょ」とまずは楽しさを覚えてもらわないとダメってことです。

この傾向って職人の世界以外でもあらゆるジャンルに波及するでしょうね。

先輩たちが偉そうに踏ん反り返っている会社なんて誰も入りたがらないですよ。どう最初にその仕事の楽しさを伝えるかという作業は、この働き手不足の時代の企業には必須になるんじゃないでしょうか。

ふと思ったんですが、ストーリーティングの世界でもこの影響があらわれているかもしれないです。

それは『異世界転生もの』です。

異世界転生ものというのはライトノベルの大人気ジャンルで、『小説家になろう』などの小説投稿サイトではこれ以外のジャンルは読んでもらえないほどです。

まあ簡単に言えば、現実世界にいた主人公が車に轢かれたり暴漢に刺殺されたりなどの不慮の事故のせいで、異世界に転生するというものです。この異世界というのは、トルーキンの指輪物語を元にした剣と魔法のファンタジー世界です。

異世界転生ものの長所としては、現代人の価値観をファンタジーの世界に持ち込めるというものがあります。

ストーリーというのは、読者や観客をキャラに共感させる必要があります。キャラを他人ごとではなく自分ごとだと思わせないと、読者の心を動かせないんです。

ファンタジー世界のキャラよりも現代人のキャラの方が、共感難易度が低くなるのはわかりますよね。だって現代人だったら価値観が自分と同じなんだから。

しかも異世界転生もののキャラは、転生前はごくごく普通でなんのとりえもない一般人です。より受け手と共感度が高い設定なんですね。

さらに異世界転生ものの長所をあげると、世界観を作家が一から作らなくてもいいんですよね。

SFやファンタジーを小説で書くときに何がが難しいって、その世界を読者に理解させるまでに時間がかかるってことです。

今の読者って、小説しか娯楽がなかった時代の読者ではないですからね。ちんたらとその世界の説明をしていたら、もうすぐに本を放り投げられてしまいます。これは小説の弱点の一つです。

でも異世界転生ものならば、「はいっ、ここはドラクエの世界です」の一言で読者がイメージできる。

トルーキンの指輪物語の世界観は、もう映画やゲームでやりつくされているので、すでに読者の頭の中にインストールされています。説明書を最初から読んでもらう過程をすっ飛ばせるんですよ。

これは小説という文字で想像するジャンルでは圧倒的なアドバンテージです。特に現在の読者の傾向と合致しています。

異世界転生ものが小説という文字メディア発祥というのが、この一点からもわかります。

異世界転生ものの作者は、一日一度はトルーキンに祈りを捧げるべきですね。

さらに異世界転生ものの特徴としては、転生後に主人公は無敵状態なんですよ。いわゆる『チート設定』ってやつです。

これが従来のストーリーティングの常識からは外れているんです。

少年漫画では、最初は弱い主人公が努力と根性で徐々に強くなっていくというのが定番です。いわゆるスポ根ものですね。

ところが異世界転生ものでは、主人公は初期設定でもう強いんです。

異世界転生ものだけの現象だろうっていう人もいるんでしょうが、そうじゃないんですよ。

今コミックアプリ等で、『静かなるドン』が人気を集めているんですよ。静かなるドンってヤクザが主人公のコメディ漫画なんですが、主人公の設定が面白いんです。

主人公の近藤静也は昼間は下着会社に勤めているんですが、実は1万人の子分を持つヤクザの親分なんです。

ヤクザの親分なんですから当然近藤は強いです。いわば『チート設定』なんですよね。

静かなるドンって若い人が好むジャンルの漫画ではないですよ。30年以上前に連載開始のヤクザ漫画ですからね。

それが今若い人に人気なのは、『最初から強い』という設定が入っているからじゃないでしょうか。

ではなぜチート設定がこれほど人気があるのか。

一応いろんな人の解説では「今の若い人は苦労や努力が嫌いだから」と書いていたんですが、それは違う気がするんですよ。

というのも最初はチート設定でも、途中から主人公よりも強者があらわれたり問題が生じたりして、試練や葛藤が襲ってくることが多いんです。

そこはストーリーティングの方程式通りなんですが、いわゆるスタート地点だけが違うんです。

つまり「最初が楽しい」っていう状態が重要なんじゃないでしょうか。

最初から無敵状態というのは楽しいんですよね。強いモンスターをバンバン倒せるんですから。

原田左官工業所ではないですが、まずは楽しいからスタートしないと物語の中に入ってくれない。

だからまずはチート状態からはじめて、徐々にストーリーの中で試練や葛藤を与えていくという流れが人気を集めているんじゃないでしょうか。

『まずは楽しいから』

これが現実でもエンタメの世界でもこれから大事になってきますね。


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