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勝手に書評|時がつくる建築 リノベーションの西洋建築史

加藤耕一(2017)『時がつくる建築:リノベーションの西洋建築史』東京大学出版会

西洋建築史を専門とし、東京大学で教鞭をとる加藤耕一さん(1973〜)による一冊。サントリー学芸賞(芸術・文学分野)を受賞した本でもある。その際の三浦篤さんによる選評がとても分かりやすくまとまっているので載せておきたい(こちら)。勝手気ままに書いているこの書評よりもためになると思うので、合わせて読んで頂ければと思う。

二〇世紀的価値観への疑問

 本書でまず提示されるのは、建築に関する二〇世紀的価値観への疑問である。例えば冒頭で、住宅に対する日本と欧米の認識の違いが例として挙げられている。日本では、住宅を購入し、数十年かけてローンが支払い終わる頃には、支払った総額分だけの価値はもはや住宅にはなくなっているのが一般的である。築何十年も建ってしまった住宅は、時には「粗大ゴミ扱い」されることもある。一方、欧米では住宅に対する投資額と資産額にそれほど差が生じないことも少なくなく、中古住宅がそれなりの価値を持って市場で売買されているという。

 ここで投げかけられる疑問は、「古くなったものを捨て新しいものを求める価値観は、二〇世紀の日本に特有の異常な価値観だったのではないか。(p.3)」というものである。そしてこの疑問あるいは仮設を、筆者が専門とする西洋建築を通史的に紐解くことによって証明するというのが本書の大まかな目的と言える。

本書が提示したいのは、建築の長い歴史から見れば既存建物の再利用もまた、きわめて本質的な建築行為であったということ、そしてスクラップ&ビルドの新築主義がリノベーションより上位に見えてしまう価値観の方こそ、二〇世紀的建築観によってもたらされたわずか一世紀の流行に過ぎないのではないか、という仮設である。(p.5)


三つの建築観

 本書では、歴史的な建築に対する認識として三つの建築観を挙げている。それは、1)再利用的建築観、2)再開発的建築観、3)文化財的建築観である。これら3つの価値観は、それぞれ1つの章として西洋建築の具体的な例を交えながら説明されていく。建築史を大学の講義などで学んだ人間にとっては、こうした具体例は(かなりマニアックではあるものの、あるいはそれ故に)面白いが、建築史にあまり馴染みがない人にとっては少しとっつきづらいかもしれない。というのも、建築の様式の名称(ゴシック様式、ロマネスク様式など)に加えて、具体的な建築や建築家の名称といった固有名詞が多く登場するので、中々頭に入ってきづらいという問題がある。かくいう自分も、幅広く登場する具体例を読むのに(ネットで画像を調べながら読んだこともあり)同じようなボリュームの他の本に比べてかなり時間がかかった。ただ、それだけ時間をかければ当然頭にも残るようになるので、西洋建築に関する知見はかなり深まると思う。そしてその知識を持って現地に行くのがとても楽しみになる。今すぐにでも行きたい。

 話が少し逸れてしまったが、上に挙げた三つの建築観について簡単にまとめてみたい。

 まず、1)再利用的建築観は、本書のタイトルにもある「リノベーション」に通ずるものであり、本書の核ともいえる建築観である。筆者によれば、これは古代以降、頻繁に行われてきた建築行為である。例えば、古代ローマでは200以上のコロセウム(円形闘技場)が各地で建設されたが、それらの多くはその後、軍事要塞や集合住宅として再利用されたという。既にそこに建っている建築を利用して別の用途に転用したり、あるいは部材を別の場所に再利用したりするのは古代から近代に至るまで当たり前のように行われていたことだという。

 次に、2)再開発的建築観とは、元々建っていた建築を取り壊して新たに別の建築を新築するという価値観である。いわゆるスクラップ&ビルドの考え方である。時間という観点から見れば、この価値観は一度建っているものを更地、すなわち無の状態にリセットして、再び新築によって新たな時間を刻もうというものである。これは近代(なお、本書では近代のはじまりは16世紀に設定されている)に現れた価値観であり、その背景には経済発展や、それ以前の中世の建築を野蛮と捉える知識人たちの風潮が挙げられる。

 最後に、3)文化財的建築観とは、一九世紀に誕生した価値観で、ある建築に対して歴史的・文化的な価値観を認め、それをある時点の状態で保存、すなわち時を止めておこうという価値観である。ここで問題になるのが、特に近代以前の建築では、長い年月をかけられて人々に建設されたため、どの時点の状態で保存するのかということである。設計者が図面として残した状態なのか、それとも100年以上かけて作られた末の状態なのか、実際には非常に複雑な選択を迫られる。ある時点を選択するということは、相対的に他の時代は価値がないと表明することにもなってしまう。建築を保存することは、そうした価値判断の矛盾を孕んでいる。


「リノベーション」も本質的で普遍的な建築行為

 さて、今の日本で広く浸透している価値観は、2)再開発的建築観と3)文化財的建築観だろう。住宅を建てる時、買う時には、築年数がなるべく浅いものを探し、その最上級にあるのが新築だと考える。一方で、寺社仏閣に対しては、古ければ古いほど価値があり、それをそのままの状態で保存しようとする。間違っても築数百年の寺や神社を、(当時はそうであったように)一般の人が気軽に利用できるような状態にはしておかないだろう。そしてこれら二つの建築観に対して、1)再利用的建築観はしばしば妥協案的に見られがちである。経済性を考えれば既存の建築を解体して新しくビルを建てた方が良いが、既存の建築の文化財的価値を鑑みれば、解体するのは世間的にも難しい。そうして妥協案として、ファサード(建築の外観)だけを残して中は新しく建て替えるというのは、東京を始め様々な場所で行われている。そうしたこともあって、「リノベーション」とは、何か妥協案やお金がなくてやむを得ずすること、というようなイメージを抱かれがちである。しかし、本書で解き明かされたのは、建築の再利用、すなわちリノベーションこそ、古代以降普遍的に行われてきた行為であり、むしろ再開発的建築観、文化財的建築観という価値観の方が近代以降に現れた新しい価値観だということである。もちろん、だからといってどちらが重要かという話ではない。ただ、建築の再利用は、建築の時を進める本質的な建築行為の一つであり、他の建築観と同等の選択肢としてあるのだということを本書は厚みのある事例と共に教えてくれる。

わが国では(そしてじつは欧米諸国においても)、「保存」と「再利用」の溝はまだまだ深い。「保存」の対象となるのが「文化財」級の名建築であるのに対して、「リノベーション」の対象となるのはどこにでもありそうな住宅や団地、倉庫やオフィスビルなどばかりであるような印象が持たれがちである。・・・・・・またカタカナで「リノベーション」といったとき、単なる一過性の流行現象に過ぎないという印象を受ける人もいるかもしれない。・・・・・・しかしながら「リノベーション」、すなわち既存構造物の再利用・転用という建築行為は、「近代」という驚くべき成長の時代を除けば、建築の歴史のなかで当たり前に繰り返されてきた、むしろ本質的な建築行為であったと考えることができそうである。(p.13)


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