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「あそび」を通じて、学びを積み上げる

他人の価値観への許容度が高ければ高いほど、学びの堆積が早く進む、ということを最近ひしひしと感じています。
閉じた世界に引きこもり、自説に拘泥すると、今の自分から線型的にしか成長をすることができない。
自分自身の価値基準がキャップとなってしまうという状況を防ぐためにも、自分の軸を持ちつつ、他の人の意見を自分のあたまのなかに取り込むことを意識することがとても大切なのだなと考えています。

岡倉天心『茶の本』に以下のような一節があります。

虚はすべてのものを含有するから万能である。虚においてのみ運動が可能となる。おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、すべての立場を自由に行動することができるようになるであろう。全体は常に部分を支配することができるのである。

「虚」というのは道教の教えで老子が用いた概念です。
たとえば、「水さし」の価値は、その形状や製品のいかん自体ではなく、水を注ぐことのできる空間に存在している。
その空間(=「あそび」)こそが、「虚」であると説いています。

思えば、9月ごろに訪れた『建築の日本展』でも、日本の建築のあり方を説明する場面で『茶の本』の似たような箇所が引用されていました。
建築の本質は屋根と壁そのものではなく、それに囲まれた空間でどのような運動(=動きだけでなく、人間の生活も含めて)が行われるかに見出される、という文脈だったと思います。
日本の建築は古くから自然との調和をうまく行ってきたという点で特異であったようですが、茶室・調度品・花・主人・客人が全て一体となってひとつの芸術を成すという茶道の精神性は、西洋に対しても大きなインパクトを与えたようでした。

先ほどの「虚」の概念は、学びの堆積に関しても転用が可能だと考えています。
自分の軸となる価値観は、屋根や壁のようなもので、しっかり形作られていた方が良い。
ただ、自分の価値観はあくまで容れ物にすぎないことを自覚し、その「あそび」の中に様々なものやひとを取り入れることによって、全体のアウトプットが完成する。
あるいは、そこで「完成」をせず、「あそび」の中での変化に応じてゆるやかな螺旋階段のように成長を続け、常に「不完全」であり続ける。

そんな風に学びの堆積を続けられることを願って、頑丈な屋根と壁を作りながらも、新しい考えをいつでも迎えいれ、変化をつつみこめるような、しなやかさを持った人間になりたいと思いました。

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