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生田日記

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そこそこ読み応えのある書き物を目指します。 読んだ本、観た映画、日々考えたこと、料理などのことを記録します。
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記事一覧

最近のこと

最近のこと

個人としての幸せがよくわからなくなった。
仕事しているのは幸せ。けど、最近仕事しかしていない。仕事してるのが幸せ。「ことばにない」を終え、1日休んで、とは言ってもオンラインで打ち合わせをしたりはして、喜界島で創作をして、発表をして、創作をして、京都で発表をして、東京に帰ってきて、脚本の打ち合わせがあり、11月が終わりそうになっている。

明日もなにかをして、しばらくしたら脚本のプロット〆切があって

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香港のヘイトクライムのこと

香港のショッピングモールでレズビアンカップルが通り魔に刺殺される事件が起こった、3日前くらいに事件のことがTLに流れてきた。犯人はブッチである26歳の女性を最初に攻撃し、その後に22歳の女性を攻撃したとTwitterを眺めながら知った。

CNNの記事だと、レズビアンカップルであることが、友人とされているのと、ヘイトクライムであることが書いていない。
https://www.cnn.co.jp/w

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2023.05.04

ひどい鬱状態である。こういう時は本当になにしてもだめなもんで、何もしないでウクレレしたり、料理したりする。

なんでわたしばかり傷つけられるのかと人を信用できなくなり死に方ばかり考える。だんだん死に方がわからなくなる。

なにも考えられなくなり思考停止に陥り動けなくなり鬱状態に陥り、わたしばかりが損失を被っている気がし、大切にされてないと感じる。死んでやろうか、、、地獄に落としてやろうか、、、とい

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2023.05.05

看板を鬱状態で描いた。シェアハウスの看板を鬱状態で描いていたらすこし落ち着いた。人からの連絡が3ヶ月以上来なくて困って催促したら、かなり不憫な返信が返ってきて、わたしは大切にされてないんだなぁと思い、落ち込んでいた。

2023.05.24

2023.05.24

俯瞰で中立の立ち位置から他者の声を聞けと言ってくる演劇を観て、ほんとうに死にたくなった。自由に過ごせと言われても自由に客席で過ごせない。家へととぼとぼ帰る。無理すぎたので、酒をきめる。
こういう時、自分のことをぶん殴りたくなって、自分で自分の力と痛みを実感したくなってしまう。アートでぶん殴られたかった。演劇でぶん殴られたかった。今日はそうじゃなかった。

友人から往復書簡内での私の問題意識がこんな

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2023.05.28

2023.05.28

オルガン33号が出ました。1句だけ、なんとなく書き留めておきますね。

産まないし梅はさんざんですし納屋

という句をオルガン33号で発表しました。わたしにとってこの句は結構重要だったのかもと手元にオルガンが届いてからぼんやり思っていて、たまたまできた句なのだけど、産まない主体の俳句ってそういえばなかったのかもみたいなことをぼんやり後から考えていました。この句もある種の女性俳句として読まれるのかも

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宮崎は大人にならなくていいと言う吉田

火曜日に藤家くんと吉田と黒澤くんの4人でGEZANのライブに行った。全感覚祭に吉田に誘われ藤家くんと3人で行ったのがきっかけでGEZANの音楽を聞くようになった。

あたしたちは18くらいの頃に出会って、あたしは20の頃にムニをはじめた。まぁ8年とか(絶交期間も含めて)の付き合いになる訳だが、なんか歳とったね!笑というのがあらためての感想。

ライブすごかったねーとかなんとか話しながら帰り道を歩く

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沖縄と札幌に行ったこと

沖縄と札幌に行ったこと

沖縄と札幌にそれぞれ3日間ほど滞在して演劇関係の人とお話をしたり、土地のお話を伺ったり、した。人はすぐに忘却してしまうけれど、忘れたくないことの方があまりにも多い。なんかちんけな言葉だが、出会えてよかったし、いま、わたしが出会うべき人だった。

わたしの持つアイデンティティのこと、沖縄のアイデンティティのこと、北海道のアイデンティティのこと、わかってもらいたい訳じゃないんだっていう共通点と、だけど

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夏に着る服

これまで露出の多い服を着てこなかった人生だった。

力を持った者の、弱くてもいい、加害怖い、への共感が最近減ってきてしまった。最近の私は力を持っちゃってることが怖いを言わないで、ただただやるべきこと、行動を実行する姿勢のほうに切実さを感じてしまうのだと思う。その弱さを語るのって欺瞞なんじゃないか?正しさの押し付けになってしまうんじゃないか?マイノリティもつらいけど、マジョリティもつらいってこと?っ

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実存をかけて俳句を書く

実存をかけて俳句を書く

たぶん以下はオルガン座談会にも繋がる流れなのだろうが。実存を掛けて試みる、ということがわたしの人生の中で大切なポイントとなっている。それが書くことにおいては負け戦になるとしても、だ。だから、わたしはライフアーティストとしての俳句を書き続ける。筆を折らないということにした。そこには町内会的オルガンという共同体がわたしの隣に存在したことも大きいのだろうと思う。扱うことのできるナショナリズムである季語(

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留年の感覚

大卒が22歳でとりあえず4年は頑張るかと思い、ちょうど4年後が「ことばにない」だったんだけど、2年必要な前後編になってしまったので、今は留年みたいな感覚で27歳で後編をやっている感じかもしれない。

手を動かそう

自分は何も努力してないのに、他人の顔色うかがってんじゃねーよ、人のせいにしてんじゃねーよ、お前のことなんて知らねーよ、羨ましがられても困る、と思うことがある。他人への言葉なんて全部自分に跳ね返ってきますからね、とも思う。でも、このいかにも日本人的な他者を羨ましがるような、出た杭は打たれるようなあり方がわたしはとても苦手なのだとも思ったりもする。他者がわたしは心底どうでもいいと、小5くらいでどこかで

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正しさってそんなに大切ですか?倒錯の中にいたい

最近日本の左翼運動の歴史と上野千鶴子以前のフェミニズムについて調べていた。それは、なぜ、「ことばにない」がレズビアンを主人公にした演劇を引き受けるかということにも繋がってくる、ひいては宮崎がなぜそれを行うのかというところにもつながるのだけど、実存を差し出さないあり方に対してわたしはどこかでは、それでいいの?と思ってしまう。アカデミズムへの嫌さもあるのだろう。

(ここで言う実存とは仮留めとしての、

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みつめつつみるみゆるゆめ

作家のカムはどうなのかという議論があったとして、その議論がそもそもうーんって感じだ。人のカムに口出すという行為がまずわたしにはよくわからないというのと、でもその行為(カムが'が必要な局面は出てくるというのもわかりつつという感じ。かなり構造の中でやる、かつ地でやるし、大切な局面でしかやりたくないとも思う。

なぜ人のあり方の選択にツベコベ人は言えるのだろう。カムが作品にたとえば組み込まれた場合、作品

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