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話題の本を読む📕【私の生活改善運動 安達茉莉子】本の森をそぞろあるき #2


暮らすって物入りねぇ……。


「暮らすって物入りねぇ……」
そう言ったのは魔女のキキ。いや、本当にその通りですわよ。キキちゃん。

人が「暮らす」ためには、服や、食器や、靴や、本や、台所道具や、マグカップや、器や、タオルや、お箸や、歯ブラシや……。

暮らすってもの入りねぇ……。本当に。

家に入ってくるものには、審美眼を貫くつもりで生きてきたのに、気づけば、ヤマザキ春のパンまつりのお皿でケーキを食べている。

「こんなはずじゃなかったよ」

それがダメなわけではなけれど「それ、好きですか?」と問われたら、そうでもないのだ。

あぁ、お気に入りだけで暮らせたら!
そう思ってはいるけれど、ものが作られている経緯の環境負荷を知っているから、壊れない限り捨てられないのです。困った。

そんな時、この本が私の目に飛び込んできた。

私の生活改善運動 安達茉莉子著 三輪社 PR

いやぁ、読んで良かった暮らしの本ですな


生活改善運動って何だろう?


生活改善運動とは、1920〜1960年代に行われた運動のことで、洋風のものや科学知識の導入や定着など、暮らしだけでなく、さまざまな分野で合理化や化学科を推し進めた運動のことを指すそう。

一方この本では、作家の安達茉莉子さんが、自分自身の生活を、本当に快適で、かつ愛せるものにして行くための試行錯誤を綴っている。

昔から、暮らしに注がれる眼差しに厳しさと愛がある本が好きなので、読み始めてすぐに「この本は絶対好きだ!」という確かな手触りを感じた。

一方私自身も、半永久的に生活改善運動を実施しているというのか、より「環境負荷の少ない方へ」と考えながらの暮らしを志すものとして、趣旨は違えど「うんうん!わかるー!」という箇所もたくさんあった。

本棚からはじまる暮らし


私の暮らしも本棚が真ん中にある


生活改善運動への一歩目は、暮らす場所を決めた安達さんが本棚を自作するところからはじまる。そう。本棚を整えることからはじまったからこそ、この人は信用できるのです!私比。

生活をまっとうするために、本棚は必要ではないけれど、読書や本は「生きていることを実感」するためには、絶対になくてはならない存在なのです。文章を書くことをナリワイとしているものにとっては。

ご自身で作られた本棚に本を並べるとき、安達さんの手が、ふと止まる瞬間があるのですが、そこに人間臭さといいうか、生活の「本当」が隠されていると思う。

大好きな本なのに、その本棚に「並べたくない」と思う本がある。そう。そうなんです。人は常に流れていて、変わらないものもあれば、環境が変わるとぐるりと変化するものがある。住む場所やその住まいは、本人でも気づかない小さな波を、自分自身のど真ん中に起こしているのでしょう。

本を好きなものにとっては、その小さな変化が「どの本を選び取るか」に出るのだと思う。同じ本を読んでも、グサリ!とくる瞬間がある年齢と、そうでない年齢があるように。


部屋は精神状態を表すというけれど


干し大根中


部屋は精神状態を表す。よぉぉく聞く言葉ですよね。これ、本当ですね。忙しくて、あっちこっちとバタバタしていると、きっちりと部屋が乱れてくれます。きゅきゅっと床を磨けば、きっとスッキリできるのだろうけど、そんな気力も起こらない。

そんな時、ありませんか?私にはあります。
そして、この本の中にもそんな時期が登場します。それは「割れた鏡を片付けられない」安達さんの苦しみ。読み進めるごとに、ぎゅっと胸を掴まれるようにキリキリと痛みました。

そう。人様から見れば「割れた鏡をなんとかする」なんてことは、鼻をかむほど簡単なことかもしれないけれど、その時の自分にとってはスーパーサイヤ人くらいのチカラがいるのです。わかる。わかります。

どうにも身体が動かない。こんなに簡単なことなのに。

ワレタカガミヲカタヅケル

たった12文字のことが、その時の自分にはどうしても出来ない。

こんな時は、単純な身体の疲れだけではなく、心にも澱が溜まって、全身を鉛のような重さが支配しているのです。動かないのではなく、動けない。そしてのしかかる「部屋は精神状態を表す」という言葉。この言葉がチクリとチクリと心の柔らかい場所を突っついてくる。

わかっているのに、できない。

つらつらとそんなことを考えていたら、ふと、ある考えが浮かんできたのです。これって、暮らしを、生活を、こよなく愛しているからできないのでは?そこにあるものが、ただのモノとしての鏡であれば、義務的に手は動く。けれど、そこには自分自身の愛している生活があって、その生活の中で壊れたものがあって、なんだか自分の生活の一部まで壊れた感じがしてしまって……。

ちょうど、大切な恋や夢をなくしてしまったみたいな感覚を、壊れた鏡にも持ってしまう。これって、暮らしそのものを愛でながら生きている人には、きっとよくあることなんです。


幸せを受け取る自分になる


私の生活改善運動は【エシカル】がど真ん中

人が生活をするということは、雑多なことにまみれていて、決してキレイゴトでは済まされない。せっせと働いて、税金を納め、スーパーの棚の前で、表示ラベルと値段を見比べて、20年前のミスタードーナツの値段を知って愕然としたりするようなすったもんだをくりかえし、人は歳を重ねてゆく。マクドナルドだって500円で食べられたんだよなぁ……。でも、あの日には還らない。

この本の最後は「幸せなほうを選んでいく」という章で締め括られている。

そうだよ。幸せな方を選んでいいんだよ。国や地球が大変なのは百も承知。だからって国民全員で不安の道を歩まなくたっていい。未来がどうなったって、大丈夫な自分を、日々、せっせとこしらえるだけです。生活の中で。

そのためには、毎日を適当に生きないことではないだろうか?目の前のものをひとつひとつ手に取って、

「これ、好き?これ、大切?」

と自分自身に指差し確認をすることが大切。お財布をパッッカと開けて、大切なお金を旅に出すのだもの。本当に好きで、長く愛せるものを使いたいじゃありませんか!

それが心から愛せるものであれば、多少の不便なんて可愛いものです。本当に大切にしたいペンならば、小さなマグネットをつけて冷蔵庫に貼り付けようなんて思わないはず。大切なものを、大切にしまう。「面倒臭いごと」愛せるのですよ。きっと。

地よい場所にしていくと、自分が満たされていく。
私が生活改善運動を行ってきた結果、一番かわったのは実は生活そのものではなくて、自分自身だった。幸せを受け取っていいと、思えるようになった

私の生活改善運動 安達茉莉子著 三輪車


そう、生活して行くことは私自身を丸ごと包んでくれる。その生活を愛することができたら、幸せの方向に足先が向くのだと思う。

今、ちょっぴりの不安や不満がある人たちに読んでほしい、ラブレターみたいな一冊です。


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