正しさじゃなくて、優しさだった

【これは、19歳のヒトリガタリです。】

こぼれ落ちそうなわたしを、拾い上げてくれた友がいました。
その友人は「約束だよ」と言ってくれました。
「あなたの能力を、素敵な個性を無くさないで」と。

わたしには障害と才能の狭間で揺れ動いていた時期があります。

ギフテッドの特徴の一つ
深く考える(熟考)。

「そんなに深く考えられてすごいね!」
「僕には思いつかなかったよ」

同年代より長けていると賞賛される一方で、

日常生活では、
考えすぎて空回りしたり、
~かもしれないと不安感に駆られ、衝動的な行動が目立ったりするなど
支障が出ていたように思います。

わたしのいいところなのに、どうして悪さするの?

これまた沼にはまるように、私は悩みました。

そんなわたしを全肯定してくれる友人がいました。

「そのまんまでいいんだよ」
「律ちゃんにしかない兼ね備えた能力なんじゃないかな」

優しく、そして抱きしめるように言葉を紡ぐ彼女に
すごいなあと感服しつつ、
わたしは、そうか、そうかあと少しずつ咀嚼していったのです。


1週間。

わたしには1週間必要でした。



導き出した結論は1つ。

「楽観的に考える場面と、深く考える場面、この2つを場面や人によって使い分けよう」

楽観的なタイプの人に
「人生とは」
「働くとは」
なんて問いかけても

「ああ、なんか重いなあ。めんどくせー」

と煙たがられたことのほうが多かったように思います。

もし、熟考ゆえに悩みを抱えている子どもや成人の方がおられたら。

「相手を観察し、言わないことをよく見極める」
「場面によって使い分ける」
こういった柔軟さが、ギフテッドネスと自閉症スペクトラム障害を併せ持つ2Eの人にとって、生きるすべになるのかもしれないというメッセージを強く伝えたいです。


これは自戒を込めてなのですが。

強い正義感を持つことがあるギフテッドネスをもつ子どもたちへ。

正義、正しさの押し付けは言葉の暴力になりうります。

神経発達症と告知を受けている子どもたちへ。

許せない、となったら、身体が制御できなくなるかもしれない。
今は許せなくても、いつか受け入れられるときがくることもあるということを頭の片隅にいれておいてもらえるとうれしいです。


個性は素晴らしいもので、輝いて見えます。
取り扱い方を慎重かつ大切に。

以上、
生き抜く上で必要だったのは
がちがちな正義感よりもずっと、
自分と、人に、優しさを配れることだった
という気づきのお話でした。


正しさじゃなくて、優しさだった。[完]

2023.04.05(水)律(りつ)

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