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怒髪天を聞いて出産し、イースタンユースを聞いて退院した。

ママ友とご飯を食べに行って、お互いの出産話になった。子どもを介して知り合ったママ友とは、年齢もバックグランドもまったく違う。

そのせいか、ママ友が集まると出産話が出ることは多い。

怒髪天を聞きながら、娘は生まれた

私は予定帝王切開だった。帝王切開だったけれど、バースプランを取り入れていた産院だったため、産む時に好きな歌を聞きたいと言う夢は叶えてくれた。

私が出産した当時(2013年)はまだサブスクが普及していなかったので手術室で音楽を聴くためにはCDを持ち込むしかなかった。悩みに悩んで3枚のCDを持って行った。

『“D-NO.18”LIVE MASTERPIECE』怒髪天

『10-BEST 2001-2009』10FEET

『きみのためにつよくなりたい』サンボマスター

妊娠中によく聞いていた3枚だ。

サンボマスターの『できっこないをやらなくちゃ』で勇気をもらった

手術が怖くて怖くて、何度も朝ドラで見た『おしん』の川に入水する泉ピン子さんの姿が浮かんだ。お腹からするっと赤ちゃんが出てきてくれれば…。そう思った。

手術前日は、サンボマスターの『できっこないをやらなくちゃ』を何度も聴いた。そして手術当日。術前の準備で腕には点滴がつけられた状態。
「車いすに乗りますか? 」「旦那さんと一緒に手術室に行きますか? 」
と看護師さんから聞かれ、「自分の足で一人行きます」と答えた。

今でもくっきりとテレビドラマのように手術室の自動ドアが開く瞬間を思い出せる。入院している部屋から、手術室まで向かい手術台の上に横になり、背中からの麻酔を入れやすいように猫のように身体を丸めた。

怒髪天のベストを手術室に持ち込んだ

手術には、怒髪天のベストを掛けて貰うことにした。手術時間はちょうど1時間ほどなので、CDは1枚しか掛けられないと看護師からいわれたのだ。

「怒髪天の『酒燃料爆進曲』を掛けた後に、10FEETの『その向こうへ』を掛けてください」という訳にはいかなかった。

私は下半身麻酔だったので、意識はあった。肩から下はカーテンのような布で隠されていたが、何が起きているか想像すると気が遠くなった。手術が始まり医師が「身体が揺れます」という言葉の後、文字通り、乱気流に巻き込まれた

飛行機のように激しく体が揺さぶられ、赤ちゃんの「あいあい、あいあい」というか細い産声が聞こえた。

(おぎゃーじゃないの?)

そう思っていると、看護師は赤ちゃんの身体を拭いて処置をし私の顔の横に持ってきた。そしてもう一人の看護師がこちらに写ルンですを向けて「はい、笑顔で」と一言。

お腹を開いた状態で、「はいチーズ! 」

私は条件反射にクラクラした意識の中、カメラに向かって笑顔を見せた。私が出産した産院では、普通分娩では立ち合い出産ができるのだが、帝王切開の場合が産院で売っている『写ルンです』だけが持ち込みができたのだ。(現在も行われているか不明…)

つまりは、だ。
お腹を切る→赤ちゃん生まれる→撮影→お腹は…。

お腹が破れて中のビーズがでているくまのぬいぐるみ。頭に思い浮かんだ。今だからこそいうが、切腹ピストルズじゃん。いや、当時はそんな余裕はない。

医師二人がにこやかにしていたけれど、早くお腹閉じて!そう何度も思った。生まれてからの方が手術は長く感じた。ああ、娘。2450gと小さめで生まれた娘。「こんな小さいの家に連れて帰るの??」

ワンオペ育児スタート! 「どこへも帰らない」

娘、生まれた時は怒髪天の『トーキョー・ロンリー・サムライマン』が掛かっていた。看護師さんが通るたびに昔のレコードみたいに何度かCDも針飛びしていたが。

娘よ、あなたがなにか表現活動をするのなら、出囃子は『トーキョー・ロンリー・サムライマン』がいいよ。

「昭和のメロディー道連れに、平成の風を肩を斬る 腑抜けた時代に殴り込む トーキョー・ロンリー・サムライマン」

かっこいい。そんな娘は今、YOASOBIとナユタン星人が好きです。

時を遡ろう。娘を妊娠した時に母に電話したら「何もしてあげないけれど、恨まないでね」と一言。

ワンオペ育児、スタート!

theピーズの「どこへも帰らない」というアルバムが人生ベスト10には絶対入るけれど、自分の人生が「どこへも帰らない」だよ。私の母、恋人と暮らしていたから生まれた赤ちゃんにも会いに来なかったしどこに私がいるのかも聞いてこなかった。

3時間おきの授乳、おむつ替え。助けてください

あらあら、おやおや、それからどんどこしょ~。

そんなジングルが頭の中を駆け巡り、娘を出産して2、3日目には早くも娘が夢に登場。抱っこしていたら首がポキっと折れて映画の『世界の中心で愛を叫ぶ』のように「助けて~」と叫ぶ夢だった。

偽メンヘラ許せじ。本物だ、こっちは。本気で病んでるんだよ。困っていても誰も助けてくれないんだよ。

母子同室で、産んだとたん育児スタート。ちょっと寝たふりもできず、看護師さんが3時間ごと部屋をノック。いくら自分大好き、真正のかまってちゃんの私でも、(勘弁して~)と泣きながら起き上がって3時間おきに授乳とおむつ替えをしていた。傷口痛いのに。

もう、誰も頼れない。

派遣社員の時、空が青いからという理由で会社に行きたくなくなって、サボって杉本彩様の『花と蛇』の映画を観に行ったのは詫びます。すみません。でも、派遣は私がサボろうが誰かに代わりをやって貰えた(私は同僚から「働かない派遣がいます」と怒りを発言小町に書かれるタイプ)。

赤ちゃんは違う。

私がなんとかしないとこの子死んじゃうよ!
よっしゃー! タチアガール!
娘と日本一の茶の間を作る(by.『お茶の間』望月 峯太郎)

娘も小さすぎたし私も具合が悪いために、退院日がなかなか決まらず結局、10日間ほど入院して、やっと退院が決まった。退院前にベッドの上で聞いた曲は絶対に忘れない。

自分にとって大事な一曲になる。そう直感的に思った。

孤立無援の花、咲くばかり

悩むことなく、イースタンユースの『裸足で行かざるを得ない』。自分の人生で何度となく聞いたこの曲。

大学に入学したら友達も彼氏も降ってくると思ったら、親から持たされたピッチには父と母以外の連絡先は誰もなかった。柴門ふみ先生の漫画の嘘つき! できなかったよ、友だちも彼氏も! 陰気と卑屈が服を着て歩いているような私には、誰も近寄ってこなかった。

大学三年の時。ずっと狂ったように『裸足で行かざるを得ない』聴いていた。でも今は違う。娘がいる。この子は私が守らなきゃいけない。

私の人生、この子のために生きるんだ。

「孤立無援の花 咲くばかり 明日のありやなしや 知るものか 知るものか」

ベッドの上で、『裸足で行かざるを得ない』が静かに響いた。


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