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疲れたら休むのは当たり前のことなのに

疲れた。

晴れて気温も高くなった今日のバイト(除雪)は、特に疲れた気がする。
通行を妨げるほどの雪はない。その代わりに、随所で鎮座する雪塊(氷塊)を砕いては運び、砕いては運んだ。

ザクザクの雪にツルハシをぶち込むと、ひびが入る。数回の攻撃で手頃なサイズに割れるので、その破片をママさんダンプ(雪国以外で通じなさそう)で雪捨て場に運ぶ。これをひたすら繰り返す。

これがまー、疲れる。


帰宅し、本日分のエッセイに取りかかろうと机に向かうも、まー、頭の働かないこと。

頭がぼーっとして、睡魔に近いような感覚。眠くはないのだが、なんとなく脱力した感じ。


こんなとき、あなたならどうするのだろうか。




(シンキングタイム)



はい、ありがとうございます。


画面の向こうから「休む」という最小文字数の回答が聞こえてきそうだ。
口を出す余地はまったくない。そのとおりだと思う。


ところで、「疲れたら休む」を実行している人はどれくらいいるのだろう。

根拠はないが、日本人は疲れても頑張ってしまう人が多いようなイメージがある。まぁ、どちらかというと僕もそういうタイプなのだが。

ただ、疲労が溜まっているときのパフォーマンスなど、たかが知れている。それどころか、いらぬミスまでしてしまい、頑張ったのにむしろマイナスとなるというのもよくある話だ。

休んだ方がモチベーションも効率も上がるはずなのに、それができないのはなぜだろう。


これがRPGのように体力や状態が可視化されていれば、また違ったのかもしれない。

体力が減っていたり毒状態になっていたりしていれば、回復するだろう。回復の手段は、アイテムを使うとか、宿屋に行くとか、教会に行くとか、ポケモンセンターに行くとか、いろいろある。

しかし、現実はそんなにわかりやすくない。どれくらい消耗しているのか、どうすれば回復するのか、他人にも自分にもわからないのがほとんどだろう。ゲームのようにドンピシャのタイミングを狙って回復行動をとることは、不可能に近い。

じゃあさ、疲労を自覚した段階で休んだ方が良いんじゃないの?
「疲れた」という信号があるんだから、それが休む絶好のタイミングだと思うんだよなぁ。


もちろん、スケジュールの都合などでなかなか休めない人が多いとは思う。とはいえ、1分たりとも自分の時間がない、なんて人はいないはずだ。作業興奮が働いているときは別として、1分だけでも手を置き、目を閉じ、できれば足を伸ばしてリラックスできないだろうか。深呼吸もアリだ。

皆ちょっと頑張りすぎだ。適度に休んでもらいたい。




・・・ということを書こうと思ったのも、偏にリラックスのおかげである。

最後に斉唱しとこっか。せーの、

「疲れたら休む」



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