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あなたにとっての「バナナジュース」は?

「梨香子ってどうしてそんなに楽しそうに生きれるの?」と友人が聞いてきた。
そして、諦念、を貼り付けたような笑顔で言う。
「俺はそこまで人生楽しめないわ。したいことも向上心も、ない人間だし」


その言葉は、わたしを悲しい気持ちにさせた。

その友人は、よく笑い、人当たりも良く、彼なりの楽しさを日常の中で大切にして生きている人だ。わたしから見れば十二分に魅力的、なのに、なんて悲しい言葉を自分に向けているのだろう。


確かに「人生を謳歌している度合い」で言えば、わたしの方が強いのかもしれない。


だけど、それはどうしてかしら。
わたしと友人とで、一体何が違うのかしら。


その時には、友人の質問に見合った回答がすぐには出せず、物悲しげな言葉と笑顔が、もやんもやんと宙を漂うだけだった。


だが、それから数日経ったある日、その問いに対する答えが、何気ない会話で発見された。


その時、わたしはバナナを食べていた。
わたしは幸せいっぱいな気持ちで言った。
「バナナってどうしてこんなに美味しいの」

それを聞いた友人が、分かる、と頷いてくれる。
「バナナは美味しいよね」


わたし「目の前でミキサーをかけてくれるようなフルーツジュース屋さんでも、絶対バナナジュースを頼んじゃうよ。あまおうイチゴも、夕張メロンも、温州みかんも、完熟パインも、一切目に入らないのよ」

友人「確かに俺も、イチゴかバナナかもしれない!」

わたし「ああ、そう!あなたも!」

友人「あ、そういえば、俺の家の近くにある果物屋さんで、バナナジュース売ってるんだよね」

わたし「へえ!美味しいの?」

友人「いや、飲んだことない。ずっと前からあって、気になってはいるけど」

わたし「なんだ、そうなの」

友人「そういえば、バスで3つくらい行った先にも、バナナジュース専門店っていうのが結構前にできたんだよね」

わたし「バナナジュース専門店!美味しそうね!」

友人「うん、美味しそうだなあって通るたびに思ってる。…まあそれも飲んでないから知らないけど」

わたし「ちょっと(笑)さっきからなんで飲んでないの(笑)どうせなら飲んでてよ、食レポ欲しいじゃない」

友人「たしかに、食レポはできないな(笑)」


そんな風に、わたし達の会話は笑って終わった。

だけど終わってから、アラ??と、わたしの中で小さな小さな引っかかりを感じた。
その引っかかりが何かを探るべく、脳内で今の友人との会話を振り返る。そして気付いた。

アッわたしと友人の「違い」は、まさにここだ!


例えば、もし、わたしだったら…

食べてみたいと思ったらすぐに食べる。
気になったことはすぐ調べる。
行きたいと思った所へはすぐに足を運ぶ。

もし、金銭面や時間的に今すぐが叶わなくても、いつそうするかを手帳に書き込んだり、いつかそうしたいことをメモに残したりする(そして何年かかけても大体割と実行する)。


だけど、友人は、

バナナジュースに関して言えば、それだけ気になっていて、無意識にも情報収集しているくらいなのに、結果的には行動にまで至っていない。


それって、
いいな、素敵だな、気になるな、面白そうだな、わくわくするな。
そんな気持ちを大切にしているわたしに反して、

友人は、自分の中に生まれたトキメキや純粋な好きの気持ちを、蔑ろにしてしまっているんじゃないかしら…。


たかがバナナジュース?されどバナナジュース。

どんなに小さかろうと、自分の気持ちに耳を傾けて、1つ1つ大切にすることが大切なのだ。

満足感も、充足感も、達成感も生まれるし、
「わたしは自分を大切にできる人間だ」
「わたしは自分との約束を守れる人間だ」

という認識も生まれ、それがなんだか揺るぎない自信に繋がったりもするのだ。


だけどもし、自分の気持ちに耳を傾けなければ。

自分で自分を満たせなくて退屈したり、不満が生じたり、それはいつからか「人生はつまらない」という諦観や、「したいことも、向上心もない人間」と自分のことをネガテイブに認識してしまうことに繋がってしまうのだろうと思う。


そうかそうか、ここなのね、とわたしは強く納得した。
これぞ「バナナジュース問題」。


友人には近いうちに、以前の質問に対する答えが出たことを、シェアしよう。
その上で、バナナジュースだろうと何だろうと、気になることがあるのなら一緒に試そうと提案しよう。



それによって、
今後、バナナ好きの人と会話をする際に食レポが成功して会話が弾めばいいし、「バナナジュース」に代わる、新しい興味やワクワクが生まれた時にも、また動いてみようという気持ちに繋がればいい。


ほっと満たされた気持ちが、たとえ花びら1枚分の重さしかなくても、それが数珠のように連なり、友人の人生がさらに豊かになっていく未来がわたしには見えるし、その未来では友人も「人生は楽しいな」と笑ってくれると思う。



PS.
これを読んでくださったあなた。あなたにとっての「バナナジュース」はなんですか?どうぞそのお気持ちの新鮮なうちに、ぜひ、ほっと満たされに、行ってくださいね。

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