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【エッセイ】幸せな発熱

熱を出すと、浮かび上がってくる記憶がある。
あるクリスマス。私たちの家族は兵庫のマンションで暮らしていた。このマンションからはすぐに引っ越すことになるけれど、これまで住んだ家で一番いい家だった。私はまだ4歳の幼稚園児で、同じマンションの一室でピアノを習っていた。
そのクリスマスに、私は熱を出した。母は子どもを甘やかす質ではなかったけど、私がまだ小さい頃は叱った後と病気の時はいつもよりうんと優しかった。特に病気の時には、りんごをすってくれて、私はそれがとても好きだった。
その冬、発熱した私はリビングとつながる和室で毛布にくるまってチェブラーシカのアニメを見ていた。するとピアノの先生を含む母の友人数名が、家に遊びに来た。まだインフルもなく、コロナなんてあるはずもなく、風邪をひいた子どもが家にいるくらいでみんな伝染ることを恐れたり遠慮したりしなかったのだろうか。それともその時の私はもうほとんど治っていたのかもしれない。
そして、ピアノの先生が私にサンタの格好をしたクマのコースターをプレゼントしてくれた。
普段から母は特別厳しいわけでもヒステリックなわけでもなかったけど、その日は単純にいつもよりとてもやさしくて、私は周りの大人皆にチヤホヤされて、すごく幸せな気分だった。
私には4歳上の兄と2歳下の弟がいるけれど、ふたりともなぜかその時の記憶にはいなくて、この日のことは、優しい母を独り占めにできたとても幸せな記憶として私の中にある。
思えば小さい頃は、2つしか違わない弟に接する母が、自分に接するときの母よりすごく優しく思えて、いつもそれを責めては母と喧嘩していた。兄は母と対等で、幼稚な私をいつも馬鹿にしていたし、たまに母がそんな兄に同調することもあって、そんなときはたまらなく惨めだった。アーどうして嫌な記憶はこんなにもすぐに浮かび上がってくるんだろう。せっかくの幸せな記憶が蘇っている最中にも。
とにかく。まだ寒い日、季節の変わり目に喉風邪を引くたび、私はツライ身体をもてあましながら、照明のオレンジ色の光の中に吸い込まれてあの日へ帰ってゆく。自分が愛されていた記憶、幸せな記憶、それらは悲しい記憶に埋もれてしまいがちなのかもしれない。でもツライときにはきっと、私達を助けにやってきてくれるはずだ。クリスマスの日にやってくる(クマの)サンタさんのように。

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