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たまに本質つく母のことば

どのタイミングで、どんな文脈であったかは覚えがないが、母親に言われた言葉が今も時々、ふと浮かぶ。

「本がすきっていうなら、今流行っているものとか何が人気なのかっていうことも知らないとね」
気に入った作家を見つけると、しばらくその人の作品ばかりを読むわたしにつぶやくように、けれど鋭く母はそういった。たしか、伊坂幸太郎さんや森見登美彦さんに、本を丸ごと飲み込むんじゃないかというくらい食らいつくようにハマっていた時期だ。

もちろん、お二方は言わずとしれた人気作家であるが、現代作家の作品はそのお二方しか読まず、あとは江戸川乱歩に安部公房、ライトノベルの「文学少女シリーズ」に触発されていわゆる「名作」と呼ばれる近代文学を読み漁っていた。
店頭で平積みされている作家の作品にはあまり興味を示していなかったのだ。

……というより、近代文学こそ文学で、そのほかは現代の日本語で書かれている分かりやすい読みものと大いなる偏見を抱いていた。(ライトノベルは読んでいたのに)「人気」や「売れ筋」ということばを敬遠しがちだったことも原因している。

母親にそういわれて、「それもそうだな」と素直に合点した。
自己満足じゃなく、もっと公的に「すき」を発言できるようになりたいかも、と思った。
公的ってなんだよ、というツッコミはさておいて。

もちろん、広く知らずとも好きな作家や作品が少なかろうとも、「本好き」と名乗っても良いに決まっている。

しかし、わたしの中では今の時流も知っておいたほうがより「本好き」が強化されていく気がした。
そこから、購入する書籍がなくとも書店へふらりと立ち寄って、店内をぐるりと巡回するようになった。
まるで、書店巡回警官だ。

書店事情はわからないので、いい・わるいを言いたいわけではないが、最近はどの書店に行っても「今売れている」作品が平積みされている。
それを「つまらない」と思う人もいるが、書店巡回警官をしているわたしにとっては、それもひとつの情報となり、蓄積されていく。

「あぁ、この書店にもこの作品おいてある。売れてるのかな」
「最近は漫画イラストチックな表紙が多いな」
「イラストとタイトル(文字)が境目なく溶け込んでるのが流行ってるな」
など、発見がある。
その中で気になった作品があれば、購入・または図書館で借りたりする。

そんなことをしていると、時々同じく本が好きな人と出会った時、とても役立つことがある。
だいたいは書店でチラ見しているものが多いので、その人があげた作品・作家を読んだことがなくとも

「あ、その作品書店で平積みされているのを見たことある。ミステリ系だったっけ?どういうところが好きなの」
と話が広げられることだ。

全く知らないよりは、軽く想像できるくらいの情報があれば、その先の会話も広がるし、新たな作家開拓のきっかけともなる。


時は変わって、
大学の基礎教養科目で「社会」を履修していたときのこと。
他人事のように講義を受ける学生に対してガツガツ突っ込んでくる頭つるつるのおじちゃん教授が、講義中、とつぜん就職活動の話をした。
たしか、わたしたちは大学3年生だった。

「たとえば、就活で休日は何をして過ごしていますか、と質問されたらなんと答えますか」
ぱっと学生を指名して答えさせる。その人は、映画鑑賞が趣味らしく、最近見た映画について話をした。

「じゃあ、この作品は見ましたか」

そのとき話題に上がっていた作品名を教授は上げた。更に質問された学生は「見ていないのでわかりません」としどろもどろに答えた。

「『映画鑑賞が趣味』というなら、話題作はチェックしておいたほうがいいですよ。たちまちその言葉が弱くなる」というようなことを言った。

わたしはタイムスリップして「本がすきっていうなら、今流行っているものとか何が人気なのかっていうことも知らないとね」
という母のことばを思い出した。
同時に、やはりすきなものとは別に、流行っているものを知ることは大切なんだ、と思った。

繰り返しになるが、本の読み方は人それぞれで「正解」はない。わたしの中で勝手にポリシーがあるというだけ。
(ポリシーとは大げさかも)

今も書店巡回は続けている。それはわたしの趣味であり、興味関心のアンテナを貼り続けるための手段でもあるから。……いつか、気になった書籍を金額気にせずどんどん買い物かごに入れていく夢をいだきながら、今日もせっせと書店へ通う。

ところで、母を過去の人のように書いてしまったきらいがあるが、今も元気に存命なのであしからず‥‥。

高等遊民になりたい………。