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国試の勉強は、全部【コード・ブルー】から教わった。


「君には、この2Dの教科書が、3Dに見えているんだねぇ。」

病態生理学の教授の部屋に質問をしに行った時、教授は眼鏡の奥から私の顔をしげしげと見つめた後、そう呟いた。

「今の疑問、どうしてそう思ったのか、私の解答をどう整理して、君の中で落とし込んだのか、それについて次の講義で君に教壇に立って話をしてほしい。」



久しぶりに、実家に帰省した。

実家に住んでいた頃の私の部屋は、今もそのままになっていた。
模造紙に無心に描き広げられた人体の地図は、少し色褪せて、壁に画鋲で貼られたままになっている。それで、看護学生だった、あの日々を思い出した。


窓を開けて、屋根の上におりる。

瓦の冷たさが足から伝わって心地良かった。



看護学科の授業は、面白かった。

看護学だけでなく、病体生理学、病理学、人体解剖学、薬理学、微生物学、栄養学、心理学、、、人体に関する、ありとあらゆる学問を学んだ。

今思えば、あの時教授から言われたその言葉は、私の人生史上、最も幸せな賞賛だったのだと思う。



私は、いわゆる優秀な子供ではなかった。

試験勉強についても、ちゃんと取り組めなかった。いざ勉強し始めると「とりあえずそういうもの」として次に進んでいくことができなかった。
「液体は蒸発すると気体になります」と言われれば、気体って何?空気の中に溶け込んで酸素になるの?二酸化炭素になるの?どちらでもないの?どちらでもないものはあとどれくらいあるの?それはどこにでも同じだけ存在するの?酸素のほうが多い場所はどんなところ?二酸化炭素の多いところに人はどのくらい居続けられるの?そもそも空気は目に見えないのに大気中に何が何パーセントあるか分かったの?どうして?なんで?それが、自分の中で落とし込めないと、次に進めなかった。

どうしようもなかった。

どうしても、試験範囲と定められた勉強を、過去問を参考に繰り返し解き、解法を覚えるということができなかった。できる人にはきっと分からない、私のできない事だった。

そんな私を、看護師の道に導いてくれた先生がいた。
高校の頃の、生物学の先生だ。担任でもないその先生は、進路指導の先生として、よく気にかけてくれていた。気にかけてくれていた、というのはちょっと盛ったかもしれない。どちらかというと、迷惑をかけていた、という方が合っているくらいかもしれない。



「おい、いつんなったら提出するんだー?」

生物室の骸骨模型の腕をプラプラ揺らしていると、進路指導の水野先生が入ってきた。

「なにー?」
「分かってんだろ、進路だよ進路。」
「私、パイロットになるって言わなかったっけ?」
「わりぃ。俺、お前が操縦する飛行機だけは絶対乗りたくねぇから。」

そう言って、とある病院の”看護師職場体験”のパンフレットを渡してきた。


「あのな。紙飛行機作る用に渡したんじゃねぇぞ」
「え?」
「お前、看護師どうだ。」
「どうしてですか?」
「この前の授業で流した臓器移植の動画の感想文。あれ、読んで驚いた。あそこまでちゃんと明確に自分の考え持ってる高校生、少なくともこの学校にはいない。なんで興味持った?」
「んー、別に。」

そっか、看護師か。

正直実感はわかなかったけれど、素直に水野先生がくれた職場体験用紙の「参加する」に丸をつけ、帰り道にそっとポストに入れた。


その後、看護学科に合格するためにした勉強は、センター試験対策でも普段の定期テスト対策でもなく、臓器移植について・iPS細胞についてだった。


受験は、AO入試を選択した。

というか、私には、それしかなかった。
一つのことを突き詰めていたら時間はいくらあっても足りなくて、突き詰めた教科だけは満点でも、テスト前に一瞬たりとも勉強できなかった教科は5点、みたいなことは、これまでもザラにあった。自分が、みんなみたく、センター試験のための勉強を、器用に淡々と行うには時間が足りなすぎることは、容易に分かった。

AO入試の内容は、いくつかの質問に加え「自分が興味を持った最近のニュースについて、40分間プレゼンせよ」というものだった。
ノーベル賞を受賞した、山中伸弥教授がiPS細胞を発見したニュースについて、それを臓器移植法と絡めて熱弁し、試験には、晴れて合格した。



看護学校に入学してからは「試験勉強ができない」だなんて言っていられない。それは、分かっていた。試験に合格できなければ留年、たとえ突破し続けられたとしても、最終的には看護師国家試験という最大の試験が待ち受けているということは、最初から、分かっていた。誰よりも。

どうすればいい。
自分の特性は、自分で一番分かっている。
それで苦しい思いをしたことだって何度もあった。
なんでできないんだって何度も思った。
それができない理由を自分の頭の悪さで片付けることだってできたはずだけど、突き詰められた教科が満点近くとれてしまうたび、学ぶことへの希望は、捨てきれなかった。

今までの勉強方法では時間は足りない。
過去問を丸暗記したり、不明点があるままに試験に出るところのみをおさえたりする勉強法も、一番自分には向いていない。

自分と一番対峙した時期だった。

そんな時に、何度も観たのが、『コード・ブルー』というドラマだった。


一つ、ラッキーなことがあったとしたならば、それは医療・看護学の分野の学問が、私には「楽しい」「もっと知りたい」と思えるものだったということ。そしてそれにラッキーが重なり、その時期に『コード・ブルー』が放送されていたこと。このドラマは、私の、なんでだろう、どういうことなんだろうという探求心を、良い意味でずっと、くすぐり続けてくれた。

全シーズン、穴があくほど観た。

全ての作品を、ちゃんと通して見終わるのに3年かかった。

何度一時停止ボタンを押したか分からない。

何度同じ場面を見たか分からない。

1stシーズン第1話から、腎不全で血液透析を行っている糖尿病の女の子が、腕を切断しなければならなくなるエピソードが放送された。その時点でまず「糖尿病って何か」を知りたくなる。一時停止ボタンを押す。糖尿病について調べる。腎不全で血液透析が必要だったのは、糖尿病の合併症だったからだと知る。「腎不全とは何か」を調べる。血液透析について調べる。糖尿病の合併症には、腎不全以外に神経障害もあることを知る。そこで、なぜ女の子は腕を切断する必要があったのかまでを考える。
ようやく、動画再生のボタンを押して視聴を再開する。森本先生が冒頭で「コンプロマイズドホストだな。」と言っていた意味が分かる。国家試験の問題集を開き、糖尿病の問題を見る。どうやって「試験問題」としてこの知識が試されるのか、その問われ方を確認する。そうやって、やっと、問題がひとつ、解けるようになる。

そんな、おそろしく地道な勉強方法でしかできなかったけれど、それでもこれが、ただ一つの、これならできると思えた勉強の仕方だった。

だけど、そうやってだんだん問題に慣れた。

すべての定期試験に、合格した。


本当ならこうしたトライアンドエラーは、小中高の頃にとっくに出来るようになることが求められたはずだった。そのためのテストだし、そのための入試だから。出来ないことを苦しんだ人なんて、他にもきっとたくさんいたんだと思う。だけどみんな、勉強して、努力して、ちゃんとセンター試験受けて、行きたい大学に行った。私にはそれが、出来なかった。

その出来なかったことが、出来るようになった。

ようやく。


時間はかかったけれど、勉強して試験が解けるということが、ちゃんと、嬉しかった。


国試の勉強は、全部【コード・ブルー】から教わった。

国家試験の問題を解き終わった時、心から、「大丈夫」そんなふうに思えたことを覚えている。

そして今、私は看護師として働いている。

あの時、必死にした勉強が、誰かの命を救うほんの一助になれていることを、本当に、ありがたく思う。





なぜ臓器移植に思い入れがあったのか、memeという名前で文章を書き続けているのか、その理由を記したnoteです。


劇場版 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命はPrime Video、Netflixでも視聴可能です。



滞らないように 揺れて流れて
透き通ってく水のような
心であれたら



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