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「官能性」と「学問」と「覚悟」で生きてゆきたい。

"なぜASD躁鬱の私がクセの強い店長のもとで働き続けられるのか"について書いていたつもりがおおよそ自己紹介になってしまったので「#自己紹介」でタグ付けした。

わたしは発達障害(ASD)で、おそらくADHDもやや含まれてて、なんなら心療内科の先生には躁鬱気味だと言われていて、毎日「しにたい」と思ったり「孤独だ」と感じたりして泣いて眠る。

そんな私がアルバイトを始めて5ヶ月が経過した。

それまではほかのアルバイトを点々としたり、モデルをやったり、アクセサリーを作ったり、キッチンカーをやったり、イベントを開いたりして本当に「なんとか」生きてきた。

海外輸入雑貨店で、従業員は店長(経営者)と私の2人きりだ。週4で千葉から下北沢まで通っている。毎日店長にたくさん叱られている。近所の飲食店は片手に入るほどの出勤回数で心が折れたくせに、どうして私はここで5ヶ月も働けているのだろうと思う。

店長にはたまに私にとって【地雷】みたいな発言をされて店長とギスギスすることもあるけど、私はすごく店長を尊敬している。

見ている感じ、店長はなかなか人を信じることができない性格だ。でも、妻子がいて、すごく愛しているように見える。「アルバイトの子になんか俺の子の写真見せないよ」といいながら普通にデレデレしながら見せてくる。

「男は家庭をつくるために働き、家庭を守るために働くもんだ。」と少し古風なことを言っていた。でも、私はその、「守るべきものをもってしまった人間の覚悟」みたいなやつが好きだ。だから、店長のことをかっこいいと思う。

「信用しているのは嫁さんだけだ」とも言っていた。(でも、私は内心「店長は"嫁さん"を他で働かせず経済的に自分に依存させることで"嫁さん"を信用してることにしてるんだろうな」と想像している。)

まあ、私の妄想はおいておいて、家族以外に対して強く警戒心を抱くのは、経営者としては非常に正しいことだと思う。

私のことを警戒し、信用しきらないことで1番守るべきものを守っている、と考えると美しいなと思う。

店長は私と同じ特性を抱えた人なら言われたら傷つくだろうな、ということを普通に言ってくる。

「この子馬鹿なんですよ」
「ここは障害者が働くところじゃないよ」
「アンタは誰がどう見たって躁鬱なんだからわざわざ病院で診断される必要ないだろ」
「何かを任せるとそれに集中しすぎるから他に何もできないね」

他にも数えきれないほど言われている。ただ、正論なのである。正論でぶん殴られている。たぶん、普通辞めると思うし、私も自分がなんでここで辞めないでいられるんだろうと不思議に思う。

私が辞めない理由。

「官能性」と「学問」と「覚悟」だ。

好きな場所で、好きな格好で、好きな働き方で働きたかった。下北沢という街が好きで、この店に合わせた格好が私は好きで、どれくらい働きたいとかいつ休みたいとかかなり融通をきかせてもらって働いている。それだけでも十分すぎるのに、この店は好奇心旺盛な私の欲求を程よく満たしてくれる。品の種類が死ぬほど多い。

店長の思考と嗜好が反映されたカオスな店だ。店長が「るりちゃん、この品仕入れようと思うんだけどどう思う?」と案を見せてくれたり、いつのまにか新しい品が届いたりするたびワクワクする。

品物のストーリーやそれを仕入れた店長の思い、私がそれらをどんなに好きで、どんな風に面白くお客さんに伝えるか考えること、また、お客さんとしっかりコミュニケーションをとって、お客さんの欲しているものをそれとなく理解して「これぞ!」というものを提案すること、全部が楽しい。幸せだ。

いわゆる「センス(感覚)」と「コミュニケーション」を磨く仕事で、これは売上に直結する。数字というわかりやすい評価に表れてくれるから、私はこの仕事を続けてきたことで自分で自分をもっと好きになれた気がする。

その「官能性」はたぶん、いろんな偶然の重なりで、ここにしかなかったと思うからやめられない。あと、私の抱える特性上私は自分自身をなかなか信じられないけれど、「ここにある官能性を信じてこの店に飛び込んだ自分自身」のことだけは信じてあげたいと思っている。


「学問」。そう書いた。
ぶっちゃけ店長の説教は心底刺さるので、衝動的に辞めたくなることはあるし、働きながら辞めるつもりで別の仕事を探していたこともある。
先日、つもりにつもったストレスで、本気で辞めることを考えて人に相談したら、「お金をくれる部活の顧問だと思えばいいんじゃない?」と言われて、それが結構しっくりきた。

25歳のへなちょこの私がしっかり自分の脚で立って生きて自分のやりたいことを叶えるためにはあらゆる能力が必要になる。体力もそう。自ら自律神経を乱して働けなくなっている場合ではない。抱いている夢や目標が今の自分に見合ってない。でも諦めたくないならストイックに自分の能力を高めるしかないな、と思う。
これは「学問」だな、と認識すると楽かな、って。勉強好きだし。

「覚悟」は後付けだ。
でも、すごく重要なこと。なんなら私にとって1番大切な理由かもしれない。

私は自分で自分が信用できない。
なぜならたった今やりたいと思ったことがやりたくなくなったり、自分から始めたことに疑問を抱いては不安に駆られてやめてしまったり、まあ一言で言えば
「気が変わりやすい上即行動を起こしてしまう」これは、自分からも他人からも信用されなくなる動きだと思う。やっぱり同じことを継続してやれる人は信用があると思うし、だから勤続年数に応じてお給料が上がったりするのだと思うし。

私は新卒のころ、放デイ(障害児の学童みたいなイメージ)で正社員を1年やって、いろいろあって半年休職して、辞めた。その休職していた時期に自身の発達障害や二次障害を初めて自認したんだ。

それでようやく、「多くの人が当たり前にできることが自分の脳みそ的には困難であること」がたくさんあるってわかった。でも、別に元々お金があるわけでもないし働いて生きていかなきゃならないから、色んな仕事に手をつけては我慢したり楽しんだりあきらめたりしてここまできた。
「継続すること」に憧れているのかもしれない。

私は店長の背中を見て「覚悟」を決めた人間って泥くさく頑張っててかっこいいなと思った。あと、夫もよく「絶対に自分からは別れると言わない」と言っている。ある意味何があっても自分からは諦めない、辞めないという覚悟の表現だと思う。それでかれこれ5年一緒にいるし。

私にはそういう「覚悟」が足りないなと思う。ここ数年、なんでも好奇心で手を出して、継続する強い意志をもたないでやってきてしまった。

ただ、自分がまだ実家にいて子どもだった頃、私はちゃんと毎日学校に通えていたし、なんなら厳しい吹奏楽部やオーケストラに長いこと所属して実績もあった。そこに所属していることに、そこで実績を残すことに、プライドがあったと思う。

自分がそうすると決めたことをやめない。
いわゆる"自分ルール"を決め、それを守る。
それが「覚悟」であり、それを達成することでプライドが保たれるんだなあと改めて思った。もちろんそれが「好き」であることは最も大切なことなんだけどね。

そういうわけで、私は今働いているこの店で「覚悟を決めたいな」と思っている。
別に社員になるつもりはない。店長も「アンタは他にやりたいことがあるんだから正社員は向いてないよ。社員ってのは会社に尽くすってことだからね」と言っていたし。

でも、自分のやりたいことを叶えるのに自分に最も適した経済的依存先として、ここに覚悟を決めたい。信頼関係を築きたい、コミットしたい、プライドをもちたい。

そして、自分のことを信じられるようになって、他人からも信じてもらえるようになって、私も人を信じられるようになって、生きていきたい。

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