見出し画像

空の美しささえ知らない日

昨夜の燃え盛る夕焼けを次の日の朝、他人のInstagramのストーリーズを通して知る。

なんとも屈辱的な瞬間といえる。

あれほどの空の美しさに気付けずに過ぎ去っていった一日があっただと?

許せぬ。

「なあ、昨日の空見た?師匠」

昨夜からの結露で、ビッショビッショに濡れたワインのショーケースを一心不乱に拭き上げながら答える師匠。

「見てない、というか見れていない。一緒におったんやから見る余裕なんかなかったん知ってるやろ。」

「せやんな、私らあんな綺麗な空見てへんかったんやで、損したぞ損!!働きまくってる場合か。」

「そうやな、今日は『らうんじろごろな』店仕舞いやな。やめたやめたあ!」

珍しく投げやりな師匠。

手に持ったナフキンを机に投げつける下手くそ過ぎるジェスチャー付きだ。

あんなの実際ドラマでしか見たことないし、現実世界でやるやつなんているのか。

師匠も相当昨夜は疲れたのだろう。

「全部カタコトの平仮名で言うてるんがすぐ分かるねん。どっかのスナックみたくいうのやめろ。」

「皆んなでラウンジ閉めて、山へ滝行に行こう!!いいよ、あれはほんと。頭の芯から一曲線に突き刺さるように刺激されて、心が洗練される感じがなんとも言えない。」

「あんたの岩の上での滝行に私を巻き込むな。」

さっきのは撤回。

こやつ、疲れてなどいなかった。

心配して損した。

いつも通りの調子、いやむしろそれ以上だ。

「とりあえず今日の目標は、定時や。ほんでもってこのベストロケーションの天空から、夕日を眺めてやりやしょうよ。」

「了解!頑張りましょう。」

えらく堅い返事だな。まあ、いいや。

19時01分。

スライドドアを閉める。

ようやく店仕舞いだ。

汚い皿やワイングラスが山のように積み上がる洗い場たちを完全に放置し、壁一面に広がる巨大な窓の向こうに目を向ける。

隣で私と同じ腕組みポーズをする師匠と声が揃う。

「夕暮れや。」

ゆっくりと大きな太陽が河川敷の向こうに姿を消してゆくのがはっきりと見える。

さっきまで賑やかだった店内は、まるで嵐が去った後かのように静まりかえっていた。

そしてまたその静けさの中に、美しいオレンジ色のなんとも暖かな光がゆっくりと床一面に差し込んできていた。

世界は美しい。

その言葉が今一番しっくりくる気がする。

あやうく世界の美しさに気付かぬうちに早々と1日が終わるところだった、危ない危ない、なんてしょうもない冗談を師匠と言い合う。

交わす言葉も少なく、窓の前に2人腕組み仁王立ち状態で随分と長い間ただただ眺めていた。

どのくらいの時間が経っただろうか。

それほどうっとりしてしまうような、非常に見惚れる情景であった。

情景-人の心を動かす風景や場面のこと-

国語辞典通り、まさに今この言葉がマッチするだろう。

気付かぬうちに人は生き急ぐ。

どこまでもどこまでも。

“Live as if you were to die tomorrow;
learn as if you were to live forever.”
“明日死ぬかのように生きろ。
永遠に生きるように学べ。”

インドの宗教家マハトマ・ガンジーが残した言葉の一つだ。

私の人生の歩み方の指針でもある。

今日が死ぬ最後の景色であるならば、美しさに触れた最後でありたい。

永遠に生きるのなら、どこまでも誠実に、ユーモアと教養溢れる人間でありたい。

専門学校時代の講師が授業中にしてくれたある話が今でも印象的だ。

「昔、ホテルマン時代に、息をするのも辛いくらいの時期がありました。

どうしようもなく絶望してた時に、家の前の木をふと見上げたことがあったんです。

その時、木の枝の上に小さなスズメの巣があってね。

親鳥が必死に自分の子供にエサをやってて、ただそれだけの光景だったんですよ。

でもね、それを見た瞬間、

あ、私まだ大丈夫だ、いける。

って思ったんです。

可愛らしいなあ、って感じたんですよ、その光景を目にした時に。

そんな感情を持てた自分に、微かに希望さえ感じました。

上を向いたらね、いいですよ。

景色が変わります、ふとしたことで考え方も。

だからみなさん、辛い時、ちょっと疲れた時、顔を上げてごらんなさい。

何かきっかけがそこに必ずあるからね。」

人は誰しも、目先の物事や問題に囚われすぎて視野が極端に狭くなる。

そうしてやがて大切な何かを見逃してしまう。

どれほど辛くとも、そこに変わらずあるがままに広がる空に救われる時だってあるのだ。

空の美しささえ知らない日が一日たりともあってたまるものか。

幸せなんざどこからともなく何者かによって都合良く運ばれてくるわけでもなければ、ある日景品が当たったかのようにプレゼントされるわけでもない。

己の中で作り出すものであり、見上げれば身の回りに広がっている情景全て、まさにそのものが幸せの根源である。

そう、息を呑むように美しい夕焼けに言われているような気がした。

なあ、師匠。

今から洗い物パラダイスだぜ。

腕組みしてフムフム言いながら感心してる場合とちゃうのよ。

なーんてセリフをかましてやりたいところだが、もう少し放っておいてやることにする。

あまりにも世界が美しいもんだから。

今日も空の美しさを知るあなたに幸あれ。

ROGORONA 

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?