『路上の言語』Skateboarding is not a Sport15

スケーターではない外部の人がそう思うだけでなくスケーター自身もスケートボードがスポーツだと誤解している場合もあるが、その要因の一つにスケート・パークのおびただしい増加があると考える。

スケート・パークがたくさんあることについては、幸不幸の両面がある。

いつでも怒られることなく安心して滑ることができるのは喜ばしいことだ。例えば街中でRを発見することは日本ではなかなか難しいし発見できても必ず滑れるとは限らないが、スケート・パークには必ずといっていいほどRがあるので安心して滑れる。人工のスケート・パークであれ天然の隠れたスケート・スポットであれ、滑るに適した場所があることは素晴らしいことだ。

ただ、遊びの場所が用意されたということは、区切られた場所という概念的境界が設けられたということなのだ。区切られたスケート・パークのなかはスケートボードという概念のみで成立しており、サッカー場や野球場と同じようにその行為をする際に他の概念との交差・摩擦を起こす可能性が排除されている。それはスケートボードというものを通してまわりのものを見ることを弱く狭めてしまうことにつながる。

スケートボードをするためだけにつくられたスケート・パークのなかでは不足しているものがない。セクション(バンクやRなどのこと)もスケートボードのためだけにつくられたものが用意され、それ以外の利用法は考えられていない。不足しているものがなくその場所に存在するものは専用につくられたものしかない場所では、スケートボード以外の概念が想起されることがない。予め揃えられた空間でなにかを求めたとしてもパーク内にあるものはすべてスケートボード用につくられたものなので、スケートボード以外の概念が想起されることはなく、そのためスケートボードの概念が他の概念と接続されることがない。他の概念との交差・摩擦の起きようがなく、部分的つながりが断絶されているのだ。

そのため「ほかのもの」を利用することがない。「ほかのもの」を利用するとき、「ほかのもの」が所属する文化に触れることになる。「ほかのもの」を利用するということは、スケートボードとは違う文化と交差するということであり、場合によっては摩擦を起こすこともある。

90年代、からかいやシニカルな表現が生まれたが、スケーターは対象(他人の意見、自己、建築物等)を枠の外からみる習慣をもっているようだ。その習慣は50年代60年代に都市の中で波を求めてバンクやプールを発見したサーファーから受け継がれている。通常注意を受けたらその声を聞き注意された自分の行動を省みることが普通だが、スケーターは傍観者のように誰かが怒っていることにもその理由にも向き合わず表現のネタにしてしまう。ストリートで滑るスケーターが増え、都市の中でスケーターの存在感が大きくなり注意の声が増えた結果、スケーターは注意をする社会の象徴としての大企業をパロディでからかった。また、建築物に対しても与えられた意味を理解しているのに本来の用途とはまったく関係のない使い方をする。それは建築家が想定した使われ方の範囲の枠を超えた、外部からの偶然性としてあらわれる。これらはスケーターにとって、与えられた意味(向けられた言葉や道具の本来の使い方など)の枠におさまるという意味通りの使い方は重要ではないしどうでもよいことの表れだろう。自分がどうみているか、が重要なのだ。

スケート・パークのみで滑ることは他の文化と交差・摩擦を起こす可能性を排除し、例えば90年代に生まれた企業のからかいやシニカルな表現などの感覚が薄れていくことになるだろう。スポーツマンがスポーツをした経験をもとに絵を描いたり写真を撮るなど自分たちが感じた感覚を表現したことなどあっただろうか。企業のからかいを始めたのは、ストリートで滑るようになった時期にスケートボードという行為が社会の秩序に反しているため批判の声を受けたことに対してのスケーターからの返答だ。スケート・パークのみで滑っていては、今後スケーターからなにか表現するものもいなくなりスポーツ化の一途をたどるだけだろう。

遊びの領域は、このように閉ざされ、保護され、特別に取っておかれた世界、すなわち純粋空間である。
引用:ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』P36

スケートボードは閉じた純粋空間の中で発展してきた文化ではない。常に概念的境界をまたぐことで発展してきた文化だ。その存在は他の文化からスポイルスポートと呼ばれると同時にトリックスターでもあるのだ。

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