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黒子の仕事・2。〜プロデュース/セルフプロデュース

本題前の序章ということで「ジュディマリ考察」で記事を書いた前回。

アツくなりすぎて、すごく長くなって、音楽記事みたいになってしまった。。
過去最長の記事でしたが読んでいただいた方、ありがとうございました*
伝わるかな?と思いましたが、コメントもいただけ、書いてよかったです!

…えーと、今回も大変長いです。。。先に言っときます。ご了承ください。。

まえがき。

前回の記事で、言いたいことは何だったのか?

「プロデューサー」の存在ひとつで、「魅力」の見え方は大きく変わる

ということでした。

ここだけ読むと、

…ふーん。ま、自分には関係ないや。アーティストとかじゃないし

きっと、多くの方がそんなふうに思われるんじゃないかと思います。

でも、ちょっと言いたいのは、「これはアーティストに限った話じゃないんですよ」と。極論で言えば、社会生活を送る「人」全員に当てはまる話じゃないかと思う。

もっと日常的な目線に落とし込んで平たく言えば、

「自分の言動」が、まわりにどう思われているのか?
自分はどういうふうに見られ、何を求められて、何をすれば喜ばれるのか?

ということなんです。
小1のうちの子どもでさえ、いつもクラスや友達関係について悩み考えてるのをよく見ます。普遍的な命題なんですね。

テレビや新聞から一方的に受け取る「視聴者」「消費者」でいるだけの時代じゃなくなって、特に、このnoteをはじめSNSで「自分を発信する」ような世の中になってきたからこそ、その「悩み」は誰しもについてまわるものなんじゃないかなぁと思った。

自分はどんなふうに何を発信し、それがまわりからはどう見られているか?


だもんで、「SNSで発信されている方々には、この内容ちょっとは響いてもらえるんじゃないかな」と思い、書いてみようと思ったわけです。

「裏方で支える立場」の僕の目線で、書けることもあるんじゃないかなぁ、と。

私、まがりなりにも、そういうようなお仕事をしてまして、「プロデューサー」とか「ブランディング」とかって、その存在意義を含め、なかなか理解してもらうのが難しいことを痛切に感じており。。。
何なら「胡散臭い」と思われたりもすることも多々ありますため(くそっ!w)、その挽回も含め「なんとか伝わってほしい!」という強い思いで、今回の記事を書いております笑。


…でも、たぶん今回の本題の方が、

前回の「ジュディマリ考察」より需要ない自信ある!笑

だから、一回にまとめたかったのだが。。。(自業自得)


ま、せっかくなので、どうぞお付き合いいただけますと幸いです^^


…って、前段の時点で長っ!

「セルフプロデュース」すればいいじゃん?

…や、自分のことは自分でやるし、「プロデュース」とか自分には関係ないし。


たぶんおそらく、大半の方はそう思われると思います。
「自分のやり方で続けて、現状が続いていくならそれで全然いいじゃん」
僕も、全然それでいいと思います。

僕が伝えたいのはきっと、そういう「現状満足マインド」の方々ではなく、そこから先「世に出たい、上を目指したい」「現状から変わりたい」と思われるようになった方向け。そんな思いを心に秘めてる方向け。
「趣味」だったものから、「本腰入れてやってみよう」って思ってきたような方。


そういう方々にお伝えしたい、僕のアンサー。

ちゃんと「自分でセルフプロデュースできる」のであれば、全然いいと思います。

…ってイヤな言い方ですねー、我ながら。。。w


でもね。でもです。
世の中になぜ、「広告代理店」とか「コンサル」とかがあるのかって言ったら、「自分一人ではできないから」だと思うんです。コンサルって、相談を受けて、自分じゃない第三者の目線で客観的に見て、意見してもらえるような関わりです。

どう頑張っても、「自分」じゃ外側から「自分」を見られない
…ま、幽体離脱とかできるなら別かもですが(そういう意味じゃない)。

「客観的=主観をゼロに」って、普通できない。と思う。


世の中「セルフプロデュース」が上手にできる人なんて、ほんとに稀だよなって僕は思うんです。辛辣だけど、きっと、ほとんどの人が「できない」んじゃないかと思ってたりします。

僕自身、「プロデュース」の役割で仕事させていただいたりしますが、それを生業にしている僕でさえ、自分自身のプロデュースは全然うまくできない。きっと、そんなもんです^^。

なのでアンサー、「ちゃんと、できるのであれば」です。

自分のことって、自分がいちばん見えてない。

自分が「欠点」だと思ってるところが、側から見れば「チャームポイント」だったりする。
普段、全く意識しないでやってる振る舞いが、人の心をつかんでいたりする。
自分だけが人と違ってて「コンプレックス」だと思ってるところこそ、唯一無二の「らしさ」なのかも知れない。

逆に、「自分はココが売り!」と信じて打ち出してるところが、実は傍目には全然よくなかったり、場合によっては快く思われていない可能性だってある。


…もー、こうなると自分じゃよくわかりません。コワイですw

だって、自分では「マイナス」だと思ってるところを、「そこがイイ」と言われたからって、その「マイナス」と思ってることをするのにも勇気もいるし、それの何がイイのかなんてわからないまま、暗中模索で言われたままやるのみだし。
逆に、自分が「長所」と信じるところが空回りしてるんだと思ったら、怖くて何も打てなくなるし。
一体、何を信じて、どうすればイイというのか?

※この挿入はイキオイです。すいません^^;

やりたいように、やればイイじゃん?

まわりなんて関係ねぇ。自分のやりたいようにやりゃイイだろ

っていう、ご意見も、ごもっともだと思います。
…ただ、こちらも但し書きしますが、「誰もついて来なくてもいい」という覚悟でやられるのであれば、そして、その上であってもなお人を惹きつける求心力を持っているのであれば、それが一番の正論なんだと思います。

…でも後になって、「なんで俺を認めてくれねぇんだ?」とか、言わないでよ?

そのスタンスって、もちろん相手にも伝わるわけで、
「まわり」には「あなた」も含まれるわけで、
言ってしまえば、

「あなたの考えは関係ない、自分のやりたいようにやるからな」

って言い放ってるんだってことも、お忘れなく。。

…うーん、僕だったら正直、そういう人とはあまり「一緒に何かしたい」とはならないです、申し訳ないけど。。。
だって、どれだけ歩み寄っても、こっち見てくれない、ってことだもんね。。



これはちょっと特殊な目線になるかもしれないけど、僕が「イベント主催者」をやってる時、そのスタンスの「アーティスト」という方も結構いらっしゃって。。
作品はイイんだけど、、、結局、イベントに参加してくださいとはならなかった

「主催する側」の目線の判断で。

イベントにお客さんを呼ぶからには、もちろんお客さんには喜んでほしいし、気持ちよくなってほしい。でも、それを受け入れてもらえなさそうなスタンスであるなら、参加はお願いはできないなって思った。
来ていただくお客さんを、不快にさせたくないし。。
美味しいのに店員の対応が最悪な飲食店とか、そういうのと同じ感じ。

ま、そんな感じで、「表現のクオリティ」とはまた違うところで、まわりの人があまり関わって来なくなるよね。。。
そういうのを見てると、もったいないなぁって、僕的には思ってしまいます。

「なんで俺を認めてくれねぇんだ?」とか、言わないでよ?(再掲)
…残念ながら、あなたのそのスタンスで、そういう状況が生まれてるんです…

どうすりゃイイ?

…じゃあ、どうすればいいの?

ってなる。

や、あなたが「現状のままでいい」と思って、「特にそれ以上は望まない」のであれば、何もしなくていいと思います。

あなたが「現状から何か変わりたい」と思ったときに、相応の「必要な手段」を考えていくことになる。そういうお話です。

ちょっと、場合分けして見てみましょう。


1・「たくさんの人に、見てもらいたい」

ってだけなら、特に今のご時世、色々「作戦」のノウハウってあると思うんですよね。
例えばnoteで言えば、「フォロワー数を増やしたい」みたいなことですよね。それは方法がある。「数」だけを目的にするなら。
でも、その「数」の全員が「イイ」「スキ」って思うのかと言われれば、そういうものではありません。

2・「たくさんの人に、イイって思ってもらいたい」

ってことなら、求められるニーズに合わせたものをやればいい。
極論、自分は「アート」をやりたいと思っていても、「料理をやってほしい」という声が多ければ、料理をやれば、喜んでもらえる。自分が「それでいい」なら、全然いいと思います。winwinで成り立ってることになるんだから。

…けど、「自分がやりたいこと」じゃないことをやり続けるって、結構ツライと思うよ。「何でこんなことやってるんだろう?」とか、ならないかな?。。。

弾けないのにエレキギター持たされちゃった、TMNの木根さんみたいに。

それで心が病んだり、嫌になったりする人を僕も色々見てきた。
そうなったら、一番残念だよね。。。

一番イイのは。

3・「自分のやりたいことで、見る人に、イイって思ってもらいたい」

きっとこれが、理想的な最終形だよね。

ここで、「プロデューサー」って話になってくるんです。ジュディマリの話です。
「やりたいようにやらせて、魅力が伝わるようになった」っていう。

本人たちは「自分のやりたいこと」「できること」を、思うようにやっただけ。
それが魅力的に響くようにしたのは、「プロデューサー」の手腕


例えばだけど、「ジュディマリ」の例があるから「バンド」で考えてみると。

ギターのTAKUYAは「東」に行きたいとする。
ベースの恩ちゃんは「西」に行きたいとする。
「東」には「北東」も含まれるし、「西」には「北西」も含まれるとして。


まっすぐにそれぞれ「東」と「西」に進ませようとしたら、力は拮抗して、中心は結局どちらにも進まない
もしくは双方がお互いに相手に気をつかって、遠慮してしまって、力を発揮しないまま終わってしまう。

けど。

ここで、もし「北東」と「北西」に進ませようとしたら、どうなるか?

中心は「北」に進む。
それが、「バンド」としての進み方、ってことになってくる。

このとき、「北東」「北西」ともお互いに範疇内だから、ストレスはかからない。

やりたくないことを、やったわけじゃない。
「やりたいこと」の中の、「求められる部分」をやった。

そうしたら結果、バンド全体は「北」へ、って「新しい答え」が見えた。


…自分たちだけでやって、この答えが導き出せるだろうか?


「ちょっと北寄りで行ってみようか〜」

この一言の調整で、結果が変わる。

これが「プロデューサーの力」なんだと思うわけです。

例えが「バンド」だから、ちょっとピンと来ないかもだけど、「西と東」を、「自分と相手」「やりたい表現とお客さんウケ」みたいに置いて考えてみると、いいかもしれません。
別に、「バンドだから」っていう特別な話じゃないんです。


「相手」に喜んでほしいけど、「自分」じゃないことはしたくない。
「自分がやりたいこと」で「お客さん」に響かせたいなら、どうすればいい?

皆、「セルフプロデュース」をして、生きています。
でも、そうそう誰もがうまくできるもんじゃない、というのが節理で。

とどのつまり、「自己と利他とのバランス」なんだと思います。
それを客観的に気持ちよく整えるのが「プロデューサー」の役割。

「自分のやりたいこと」で「現状から変わりたい」なら、
「プロデューサー」的な関わりって選択肢も、有益だと思うよ。


「プロデューサーが必須」だとは言わないです。
「自分でセルフプロデュースできるのであれば」^^


今回記事の内容を総括しますと、そんな感じでしょうか?

ちょっと対象が曖昧で、抽象的でふわふわしててわかりにくいと思われるかと思いますが、結構大事なことは書いたつもりです。


…でも、

…絶対、ウケよくないぞ、この記事w

わかりにくいし、イヤな奴になってるもん俺!
どうぞ、嫌わないでください笑^^;

とりあえず、世間的な「プロデューサーって、結局何してるのさ」ってところを、わかってもらいたくて書いた感じの記事でした。

…よし、とりあえずここまで書いて、やっとこ前回「ジュディマリ考察」記事の回収ができたんじゃないかと思います笑

しかし、まだ着地まで、全然途中。
こりゃ、また次回持ち越しだな。。。



つづく。



負けないw

読んでいただき、ありがとうございました*

最後までお読みいただき、ありがとうございました!頑張って書き重ねていきますので、是非またお越しください。